日本テレビが民放各局の中で、どの放送局よりも一番最初に60周年を迎えた際のお仕事です。数年ごとに変わる、番宣などで使われるステーションメッセージやジングルではなく、ある程度長く使用されることを前提とした、日本テレビの存在意義を明確にするようなコーポレートスローガンを制作することになりました。60年前に誕生した無料放送が果たして60年後も存在し続けるのか、「日本テレビ放送網」という会社名を疑うところからスタートしたお仕事でした。
社長以下の経営層、報道、情報、バラエティ、ドラマ、スポーツなどのプロデューサー、社外の放送作家さんなど、数か月に渡り総勢60名のヒアリングを重ねて、いつの日も変わらない、この先も保ち続けるべき、日本テレビの本質的な価値を探しました。齋藤自身が大学を卒業する前の就職活動の際、放送局を志望していたこともあり、番組制作の裏話を伺うことが出来るワクワクするお仕事でした。
ライトパブリシティの国井さん、電通の渋江さんという二人のコピーライターのお力をお借りして最終的に「見たい、が世界を変えていく。」というコーポレートスローガンが誕生し、これを「日テレビジョン」と呼ぶことになりました。
日本テレビが民放各局の中で、どの放送局よりも一番最初に60周年を迎えた際のお仕事です。数年ごとに変わる、番宣などで使われるステーションメッセージやジングルではなく、ある程度長く使用されることを前提とした、日本テレビの存在意義を明確にするようなコーポレートスローガンを制作することになりました。60年前に誕生した無料放送が果たして60年後も存在し続けるのか、「日本テレビ放送網」という会社名を疑うところからスタートしたお仕事でした。
社長以下の経営層、報道、情報、バラエティ、ドラマ、スポーツなどのプロデューサー、社外の放送作家さんなど、数か月に渡り総勢60名のヒアリングを重ねて、いつの日も変わらない、この先も保ち続けるべき、日本テレビの本質的な価値を探しました。齋藤自身が大学を卒業する前の就職活動の際、放送局を志望していたこともあり、番組制作の裏話を伺うことが出来るワクワクするお仕事でした。
ライトパブリシティの国井さん、電通の渋江さんという二人のコピーライターのお力をお借りして最終的に「見たい、が世界を変えていく。」というコーポレートスローガンが誕生し、これを「日テレビジョン」と呼ぶことになりました。