インタビュー
interview
電通卒業後、さらなる高みを目指して。
dofで得た「武器」と「視座」
電通卒業後、さらなる高みを目指して。
dofで得た「武器」と「視座」

2020年秋にdofに入社した工藤拓真。
それまで勤めていた株式会社電通では大手クライアントを担当し、またスタートアップやジョイントベンチャーなどでの経験を積み独立を考えるも、「『退職→独立』が一般のパターンだが、その前にいろんな可能性があると感じたdofを活用しようと思った」と、未知なる挑戦をするために、dofの一員になることを決意した。
なぜdofを選び、約1年が経過した現在地とはどのようなものなのか。
――工藤本人に話を訊いた。
2020年秋にdofに入社した工藤拓真。
それまで勤めていた株式会社電通では大手クライアントを担当し、またスタートアップやジョイントベンチャーなどでの経験を積み独立を考えるも、「『退職→独立』が一般のパターンだが、その前にいろんな可能性があると感じたdofを活用しようと思った」と、未知なる挑戦をするために、dofの一員になることを決意した。
なぜdofを選び、約1年が経過した現在地とはどのようなものなのか。
――工藤本人に話を訊いた。
異なる業界や才能を繋ぎあわせる
ハブとしての、ディレクター
異なる業界や才能を繋ぎあわせる
ハブとしての、ディレクター

――まずは工藤さんの学生時代について教えて下さい
九州の大分県出身で、行動経済学に興味があり学者になりたいなと漠然と思っていました。しかしながら都内の法学部に進学することとなり、政治とかジャーナリズムにも興味を抱くようになったんです。学生中は政治家にインタビューしたり、法律討論に参加したり、とにかく世の中を見て、あれこれと積極的に行動していましたね。
――就職活動はどのように?
いろんな業界の、かなり多くの企業に触れました。いくつか候補が残った中で最終的な決め手となったのが、何か一つのことだけにコミットするというのではなく、幅広いことに触れられさまざまな経験や知見を得られそうということ。それで2011年の東日本大震災直後に、株式会社電通に入社しました。
――入社後はどのような業務をしていましたか?
まずは資生堂さんを担当しました。その後はトヨタさんやソニーさんなど、日本を代表する企業のプロジェクトに携わりました。また当初のプロデューサー職から社内のクリエイティブテストを経てプランナーとしての勤務も始まりました。2017年のTOKYO MOTOR SHOWでNewsPicksさんと動画事業を共創したことをきっかけに、広告関連だけでなく、会社全体や事業そのものをプロデュースするプロジェクトにも参画するようになりました。スタートアップとの出会いにも恵まれました。いわゆる広告業界的な観点で表現すると、営業、ストプラ、クリエイティブの3つをゴチャ混ぜにしたような働き方でした。ひとつの武器を磨く働き方も素敵ですが、僕自身は、知らない世界同士をより良くつなぎ、ディレクションする立場が性に合っていたので、日々刺激的で、理想的なキャリアを積むことができました。
――電通に在籍中、現在dof社長の齋藤太郎氏との接点はありましたか?
資生堂さんの仕事で、齋藤がクリエイティブ・ディレクターとしてプロジェクトを推進していました。初めて会った時の印象は「ブルドーザーのようなパワフルさ、それに底なしの明るさ。こんな社交マンが、まだ現代社会にいたのか」って感じでした(笑)。僕は、立食パーティーが大の苦手の、真逆タイプな根暗人間なので、鮮明に覚えています。
真逆だからこそ、dofに来て、齋藤の仕事スタイルに触れると、勉強になることも多いんですね。その明るさが、きちんとアウトプットに反映されていく。クリエイターたちはもちろん、クライアントも含めて、全メンバーが仕事を楽しんでいるからこそ、面白いアウトプットができる。やがて、ヒト・モノ・コトが動き出し、数年かけて世の中の景色が着実に変わってゆく…。同じ課題でも、ディレクターによって解き方は当然違います。齋藤はとにかく、良いスパイラルが生まれ続ける仕組みやその持続性に執着する。10年を超えるお付き合いのクライアントさんが多くいるdofならではの、ディレクションスタイルかもしれません。
――まずは工藤さんの学生時代について教えて下さい
九州の大分県出身で、行動経済学に興味があり学者になりたいなと漠然と思っていました。しかしながら都内の法学部に進学することとなり、政治とかジャーナリズムにも興味を抱くようになったんです。学生中は政治家にインタビューしたり、法律討論に参加したり、とにかく世の中を見て、あれこれと積極的に行動していましたね。
――就職活動はどのように?
いろんな業界の、かなり多くの企業に触れました。いくつか候補が残った中で最終的な決め手となったのが、何か一つのことだけにコミットするというのではなく、幅広いことに触れられさまざまな経験や知見を得られそうということ。それで2011年の東日本大震災直後に、株式会社電通に入社しました。
――入社後はどのような業務をしていましたか?
まずは資生堂さんを担当しました。その後はトヨタさんやソニーさんなど、日本を代表する企業のプロジェクトに携わりました。また当初のプロデューサー職から社内のクリエイティブテストを経てプランナーとしての勤務も始まりました。2017年のTOKYO MOTOR SHOWでNewsPicksさんと動画事業を共創したことをきっかけに、広告関連だけでなく、会社全体や事業そのものをプロデュースするプロジェクトにも参画するようになりました。スタートアップとの出会いにも恵まれました。いわゆる広告業界的な観点で表現すると、営業、ストプラ、クリエイティブの3つをゴチャ混ぜにしたような働き方でした。ひとつの武器を磨く働き方も素敵ですが、僕自身は、知らない世界同士をより良くつなぎ、ディレクションする立場が性に合っていたので、日々刺激的で、理想的なキャリアを積むことができました。
――電通に在籍中、現在dof社長の齋藤太郎氏との接点はありましたか?
資生堂さんの仕事で、齋藤がクリエイティブ・ディレクターとしてプロジェクトを推進していました。初めて会った時の印象は「ブルドーザーのようなパワフルさ、それに底なしの明るさ。こんな社交マンが、まだ現代社会にいたのか」って感じでした(笑)。僕は、立食パーティーが大の苦手の、真逆タイプな根暗人間なので、鮮明に覚えています。
真逆だからこそ、dofに来て、齋藤の仕事スタイルに触れると、勉強になることも多いんですね。その明るさが、きちんとアウトプットに反映されていく。クリエイターたちはもちろん、クライアントも含めて、全メンバーが仕事を楽しんでいるからこそ、面白いアウトプットができる。やがて、ヒト・モノ・コトが動き出し、数年かけて世の中の景色が着実に変わってゆく…。同じ課題でも、ディレクターによって解き方は当然違います。齋藤はとにかく、良いスパイラルが生まれ続ける仕組みやその持続性に執着する。10年を超えるお付き合いのクライアントさんが多くいるdofならではの、ディレクションスタイルかもしれません。
挑戦の舞台としてのdofは、
常に挑み、成長していける場所
挑戦の舞台としてのdofは、
常に挑み、成長していける場所

――独立や転職を考えるようになったきっかけは?
数年前なのですが、電通の出資でクリエイティブブティックが設立され、その会社に2年間出向していました。クリエイティブ戦略やコミュニケーションデザインに加えて、事業や経営にも携わることができて非常に経験値が上がったように思います。そしてその2年を経て次を考えたときに独立…という選択肢もあったのですが、ある理由があって電通に戻ることに決めました。
――その理由とはなんですか?
「小さくまとまってしまう」という危機感です。電通にいると、思いもしないお題が降り注いできます。でも、個人で闘っていると、必死になればなるほど、意図的な出会いこそあれど、「意図せぬ出逢いや接点」が減ってしまうのではないか、と思ったんです。確かに、会社員より稼げるようにはなるでしょうし、その自信もありました。でも、もし独立することが、逆に小さくまとまってしまうことに繋がってしまうのだとしたら、遠くない未来、きっと後悔する。あと、一人の限界、というのも痛いほど感じていました。結局、一人でできる仕事なんてちっぽけ。多くのステークホルダーが絡むからこそのダイナミズムの中に身を置きたい。そこで、電通に戻ることを決意。スタートアップ経営者と向き合うために、戦略やクリエイティブに領域限定せずに済むチームをつくっていただいて、そこでディレクターとして活動を開始しました。
――その後、2020年秋に起業とdof入社という2つの決断をすることに?
はい。電通での仕事も拡大し、自分でできることにもさらに打ち込んでいこうと思いました。出身の大分をはじめ、さまざまな地方を支援したいという想いで、株式会社BRANDFARMの立ち上げを考えたのですが、それと同時にdofへの参画の可能性も浮上したんです。サントリーさんはじめ、既に広告業界で実績のあるdofという会社に身を置けば、「新しい出逢いや繋がり」にあふれているに違いない。それに、前述の通り、齋藤太郎と僕とでは、人間が違う(笑)。だからこそ、思わぬ出逢いにあふれているのでは? と思いました。さらに、dofは新たな働き方として社員の独立・起業を応援していると知り、それならば自分がやりたい志も追究していくことができる。副業ではなく起業を推奨する、という立場なんですね。あくまで、社員一人ひとりが会社を経営するくらい技量があればdofのためになるという観点に、共感したんです。
――独立や転職を考えるようになったきっかけは?
数年前なのですが、電通の出資でクリエイティブブティックが設立され、その会社に2年間出向していました。クリエイティブ戦略やコミュニケーションデザインに加えて、事業や経営にも携わることができて非常に経験値が上がったように思います。そしてその2年を経て次を考えたときに独立…という選択肢もあったのですが、ある理由があって電通に戻ることに決めました。
――その理由とはなんですか?
「小さくまとまってしまう」という危機感です。電通にいると、思いもしないお題が降り注いできます。でも、個人で闘っていると、必死になればなるほど、意図的な出会いこそあれど、「意図せぬ出逢いや接点」が減ってしまうのではないか、と思ったんです。確かに、会社員より稼げるようにはなるでしょうし、その自信もありました。でも、もし独立することが、逆に小さくまとまってしまうことに繋がってしまうのだとしたら、遠くない未来、きっと後悔する。あと、一人の限界、というのも痛いほど感じていました。結局、一人でできる仕事なんてちっぽけ。多くのステークホルダーが絡むからこそのダイナミズムの中に身を置きたい。そこで、電通に戻ることを決意。スタートアップ経営者と向き合うために、戦略やクリエイティブに領域限定せずに済むチームをつくっていただいて、そこでディレクターとして活動を開始しました。
――その後、2020年秋に起業とdof入社という2つの決断をすることに?
はい。電通での仕事も拡大し、自分でできることにもさらに打ち込んでいこうと思いました。出身の大分をはじめ、さまざまな地方を支援したいという想いで、株式会社BRANDFARMの立ち上げを考えたのですが、それと同時にdofへの参画の可能性も浮上したんです。サントリーさんはじめ、既に広告業界で実績のあるdofという会社に身を置けば、「新しい出逢いや繋がり」にあふれているに違いない。それに、前述の通り、齋藤太郎と僕とでは、人間が違う(笑)。だからこそ、思わぬ出逢いにあふれているのでは? と思いました。さらに、dofは新たな働き方として社員の独立・起業を応援していると知り、それならば自分がやりたい志も追究していくことができる。副業ではなく起業を推奨する、という立場なんですね。あくまで、社員一人ひとりが会社を経営するくらい技量があればdofのためになるという観点に、共感したんです。
個性は多様でも
「文化と価値の創造」
というゴールは一つ
個性は多様でも
「文化と価値の創造」
というゴールは一つ

――dofで働き始めて一年、その感想とは?
dofではいろんな価値観、そしてさまざまな経験を持つ人間が協働しています。一人ひとりの価値観も方法論も違うのですが、でも「文化と創造の価値」という絶対的なゴールがあり、全員が同じ方向を向いています。そのために主体的に動いていくというカルチャーが、もはや常識といった感じで根付いているんです。その事実を日々実感しているところです。
――dofに入って良かったと感じることは?
常に新しい経験や試みができることです。さまざまな知見や職能を有する人たちとの出逢い、多様なクライアントと共により高いゴールへと挑んでいくこと、裁量のある主体的な動きができるけれどチームというか家族のような繋がりを会社に感じること。そして、自分自身の事業や経営も試行錯誤しながら経験を積んでいけること。ただの独立でも、ただの転職でもない、とても理想的な環境がここにはあるんです。
また家族のような繋がりという点では、dofには良い意味で公私を区別しない風土があります。仕事の時間、家族との時間、自分の時間…など、それらを区別することなく、そもそもそのすべてが人生というものなんだと。だからどの時間も大切で、私自身もdofの仕事、子どもとの時間、自分自身の時間と、どれもが平等に重要なものになります。
dofでは家族での交流があったり、何かあった際にはサポートし合える空気があったりと、dof自体が家族というかチームになっているのが心地良いと感じます。自分自身の人生というものと、日々向き合っている実感があります。
――dofで働き始めて一年、その感想とは?
dofではいろんな価値観、そしてさまざまな経験を持つ人間が協働しています。一人ひとりの価値観も方法論も違うのですが、でも「文化と創造の価値」という絶対的なゴールがあり、全員が同じ方向を向いています。そのために主体的に動いていくというカルチャーが、もはや常識といった感じで根付いているんです。その事実を日々実感しているところです。
――dofに入って良かったと感じることは?
常に新しい経験や試みができることです。さまざまな知見や職能を有する人たちとの出逢い、多様なクライアントと共により高いゴールへと挑んでいくこと、裁量のある主体的な動きができるけれどチームというか家族のような繋がりを会社に感じること。そして、自分自身の事業や経営も試行錯誤しながら経験を積んでいけること。ただの独立でも、ただの転職でもない、とても理想的な環境がここにはあるんです。
また家族のような繋がりという点では、dofには良い意味で公私を区別しない風土があります。仕事の時間、家族との時間、自分の時間…など、それらを区別することなく、そもそもそのすべてが人生というものなんだと。だからどの時間も大切で、私自身もdofの仕事、子どもとの時間、自分自身の時間と、どれもが平等に重要なものになります。
dofでは家族での交流があったり、何かあった際にはサポートし合える空気があったりと、dof自体が家族というかチームになっているのが心地良いと感じます。自分自身の人生というものと、日々向き合っている実感があります。

――印象に残るプロジェクトは?
いくつものプロジェクトに参加させてもらっていますが、特に印象に残るのは資生堂さんから派生した企業、ファイントゥデイ資生堂さんの立ち上げです。とにかく時間がない中で、社名の検討・提案から企業の中長期的な展望、そしてトンマナを含めたブランド全体を構築していかなければなりませんでした。自分としてはこれまでの経験を生かして、クリエイティブ目線とプロデューサー目線を発揮しながら、全体を通してゼロから携わることができ、本当に貴重な経験であると同時に、dofのおかげで自分の力を発揮することができた一つの証ともなりました。まさに、文化と価値を創造できたプロジェクトだったと思います。もちろん、会社はできたてほやほや。ここからが本当のスタートですが。
――印象に残るプロジェクトは?
いくつものプロジェクトに参加させてもらっていますが、特に印象に残るのは資生堂さんから派生した企業、ファイントゥデイ資生堂さんの立ち上げです。とにかく時間がない中で、社名の検討・提案から企業の中長期的な展望、そしてトンマナを含めたブランド全体を構築していかなければなりませんでした。自分としてはこれまでの経験を生かして、クリエイティブ目線とプロデューサー目線を発揮しながら、全体を通してゼロから携わることができ、本当に貴重な経験であると同時に、dofのおかげで自分の力を発揮することができた一つの証ともなりました。まさに、文化と価値を創造できたプロジェクトだったと思います。もちろん、会社はできたてほやほや。ここからが本当のスタートですが。
――dofに合う人材像とは、どのような人ですか?
一言でいうと「自分印」のある人、またはそれを追求できる人ですかね。自分の想いや志を持って仕事に取り組み、どの仕事に関しても同じく、指示を待つのでではなく、あくまでも自分の意思で遂行していく。独立心を持って自分でどんどん行動する人が、dofの風土に合っていると思います。
事業会社や広告会社では、どうしても分業が強いられる。若造が領空侵犯することは悪いことのように扱われる。でも、dofは日々が領空侵犯のオンパレード。広告クリエイターが、経営戦略に口を出すことがむしろウェルカムな環境をつくっているし、クライアントさんともそのような関係を築けるように日々努めています。
――工藤さん個人としてはどのような人と仕事したいですか?
dofには、クリエイティブ・ディレクターの大島征夫、コミュニケーション・デザイナーで代表の齋藤太郎をはじめ、個性的な視点を持つ人がたくさん存在します。それはいわば、さまざまなレンズがたくさんあることだと思っています。そのいろんなレンズを通した言動から刺激も受けるし、一人では思いもよらない化学反応にも繋がる。
その意味で、もっと多様なジャンルのいろんなレンズがもっとあるといいなって思っています。建築家、アプリの開発、SEのほか、広告やブランディング以外の業界出身の方も絶対面白いと思います。予想を超える可能性が待っていますので、ぜひdofの門戸を叩いてもらいたいです。
dof自体に歴史もブランドもありますが、さらにいろんな人がいていいし、さらにいろんな業界と関わっていくべきです。自分自身もレンズも磨きながら、個人としても会社としても、もっといろんなもののハブとなって周囲を巻き込んでいく存在になっていきたいですね。
――dofに合う人材像とは、どのような人ですか?
一言でいうと「自分印」のある人、またはそれを追求できる人ですかね。自分の想いや志を持って仕事に取り組み、どの仕事に関しても同じく、指示を待つのでではなく、あくまでも自分の意思で遂行していく。独立心を持って自分でどんどん行動する人が、dofの風土に合っていると思います。
事業会社や広告会社では、どうしても分業が強いられる。若造が領空侵犯することは悪いことのように扱われる。でも、dofは日々が領空侵犯のオンパレード。広告クリエイターが、経営戦略に口を出すことがむしろウェルカムな環境をつくっているし、クライアントさんともそのような関係を築けるように日々努めています。
――工藤さん個人としてはどのような人と仕事したいですか?
dofには、クリエイティブ・ディレクターの大島征夫、コミュニケーション・デザイナーで代表の齋藤太郎をはじめ、個性的な視点を持つ人がたくさん存在します。それはいわば、さまざまなレンズがたくさんあることだと思っています。そのいろんなレンズを通した言動から刺激も受けるし、一人では思いもよらない化学反応にも繋がる。
その意味で、もっと多様なジャンルのいろんなレンズがもっとあるといいなって思っています。建築家、アプリの開発、SEのほか、広告やブランディング以外の業界出身の方も絶対面白いと思います。予想を超える可能性が待っていますので、ぜひdofの門戸を叩いてもらいたいです。
dof自体に歴史もブランドもありますが、さらにいろんな人がいていいし、さらにいろんな業界と関わっていくべきです。自分自身もレンズも磨きながら、個人としても会社としても、もっといろんなもののハブとなって周囲を巻き込んでいく存在になっていきたいですね。
取材・構成・文 西原真志(株式会社ライター)
撮影 sono
編集 徳間書店
取材・構成・文 西原真志(株式会社ライター)
撮影 sono
編集 徳間書店
dof中途入社メンバー
dof中途入社メンバー

株式会社dof執行役員 / ブランディング・ディレクター
株式会社dof執行役員 / ブランディング・ディレクター
工藤 拓真
Takuma Kudo

一度限りの上場広告に
どう熱量を込めるか?
志の共鳴が生んだ
クリエイティブ誕生秘話
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弔辞を読んだ同志が語る、大島征夫。
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弔辞を読んだ同志が語る、大島征夫。
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企業のブランドづくりへ。
“遺る”文化と価値をつくり続ける。
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大学卒業後、ファーストキャリアは総合商社。その後、MBAを取得し、スタートアップの取締役CFOを務めたのち、dofに参画するという異色の経歴の持ち主。そんな宇佐見が前職で深いつな…
大学卒業後、ファーストキャリアは総合商社。その後、MBAを取得し、スタートアップの取締役CFOを務めたのち、dofに参画するという異色の経歴の持ち主。そんな宇佐見が前職で深いつな…
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