【dof20年対談】大島征夫と齋藤太郎が語るdofの“これまで”。そして“これから”。
【dof20年対談】大島征夫と齋藤太郎が語るdofの“これまで”。そして“これから”。
本日、5月2日は20年目を迎えた株式会社dofの創立記念日。
電通時代にクリエイティブ・ディレクターと営業として一緒に仕事をしていた関係であり、創業者の2人でもある大島征夫と齋藤太郎。
記念すべき今回は、創業者の特別対談記事です。
2人の出会いや20年のできごとを振り返りながら、今後の展望、社員への想いを聞きました。どふぞご覧ください。
本日、5月2日は20年目を迎えた株式会社dofの創立記念日。
電通時代にクリエイティブ・ディレクターと営業として一緒に仕事をしていた関係であり、創業者の2人でもある大島征夫と齋藤太郎。
記念すべき今回は、創業者の特別対談記事です。
2人の出会いや20年のできごとを振り返りながら、今後の展望、社員への想いを聞きました。どふぞご覧ください。
「電通に大島あり」といわれた、
名物クリエイティブ・ディレクターとの
運命の出会い
ー大島
初めて会ったのは、太郎が20代後半の時だったかな。
―齋藤
そうですね。電通でメディアの仕事をした後に、
営業に異動し資生堂さんのクリエイティブを担当していました。
その時の、クリエイティブ・ディレクターが大島さんでした。
大島さんは私が電通に入社した頃からスーパースターで、誰もが知っている超売れっ子で。みんなに愛されていて、尊敬される存在でした。
だから、その人と一緒に仕事が出来るというのは、ものすごく光栄だったし、うれしかったです。
ー大島
太郎はさ、初めて会った時からやたらとポジティブで、存在感があったよね。当時は、まだ営業2年目だったのかな。クリエイティブの仕事をするのは初めてだって言ってたけど。あっという間にチームの中心に立って、みんなを引っ張っていたから、俺も自然と太郎と話していた。熱意とパワーがすごかったのよ。
これまで出会った後輩の中で、こんなに目立つ人はいなかった (笑)
―齋藤
新米営業・プロデューサーとして30近く年齢の離れた、大島さんとの仕事は全てが新鮮で、面白かったですよ。
ー大島
いつも、打ち合わせ遅れちゃってごめんね (笑)
―齋藤
そうそう (笑)
毎回打ち合わせに遅刻していましたよね。クライアントが、大島さんの取り合いをするから、遅れちゃうんですけど。
大島さんが、なかなか来ない打ち合わせは、ずっと冷や汗かいてましたよ。クライアントからも、クリエイティブチームからも「営業の仕切りが悪い」って思われてるんじゃないかって(笑)
延々と打ち合わせをして、解決の糸口が見つからないことも多くて、
これはもうお手上げ、ムリだ、どうしよう、と思ったときに、ふらっと、大島さんが現れるんです。
悩んでいたみんなの話をババッと聞いて、ホワイトボードの前に立ち、整理し始める。そして、誰も思いつかなかった解決策を出し、この回答を待ってたと、全員が前のめりに頷く。まさに「電通に大島あり」を体現していました。
日本を代表する伝説のクリエイター、
大島が定年。その年にdofを設立
―齋藤
2005年、大島さんは定年を間近に控えており、
「あの大島さんが、定年で引退するなんてもったいない!」と思っていて、
「もうちょっと一緒に仕事をしましょうよ」と話をしましたよね。
ー大島
そうだね。あの頃ありがたいことに、太郎だけでなく、
社長やらないか、顧問はどうか、と多方面から誘いがあったけど、全部断った。
ただ、太郎に声掛けてもらった時は、「太郎となら、一緒にやりたいな、いいな」と初めて思ったんだよね。
―齋藤
大島さんって日本の広告業界を代表するクリエイティブ・ディレクターだったし、
あと、単純に大島さんが好きだったから、もっと一緒に仕事がしたかったんです。
ー大島
懐かしいね。最初は私が社長、太郎が取締役のポジションだったかな。
独立してからは、頼る相手がいないし「電通の大島」が使えなくなるから、苦労したよね。
電通時代は人との繋がりさえあれば仕事はやっていけるし。
dofでは、それが通用しない。純粋に自分の実力が評価されるからね。
―齋藤
そうそう、そんなdofが20年目を迎えますね。
ー大島
いやー、驚きだよね (笑)
―齋藤
こんなに、長く続くと思っていなかったし、
とりあえず、3年とか5年じゃないかなと思ってましたよ。感慨深いです。
ー大島
ただ「太郎を潰すわけにはいかない、なにがなんでも太郎を守らなきゃ。絶対に、この会社を遺さなきゃいけないな」と思っていたよ。それは今でも変わらないけどね。
20年目を迎えられたから、あと20年続いてほしいな。
クライアントと伴走し続ける。
それがdofの使命
ー大島
この20年間はさ、楽しかったよね。色々なクライアントさんとお仕事もさせて頂けたし。
サントリーさんの「ウイスキー」は創業間もない頃から担当しているからね。長年伴走し続けている分、お得意さんを裏切るわけにはいかないので、こちらも全力で仕事していますよ。
―齋藤
担当の方とは、もう18年のお付き合いになりますね。
中高年のお酒というイメージが強かったウイスキーを「ハイボール」という新しい飲み方の提案で、生まれ変わらせたこともそうですけど、
やっぱり、自分たちが関わったことが、世の中にインパクトを与えている仕事は面白いです。
ー大島
そう、多くの人に愛され、クライアントにも感謝もしていただけるしね。
―齋藤
はい、世の中にまだ無い商品やサービスが成長していく過程に携われるのは、この仕事の醍醐味です。20年間を振り返って思うことは、素晴らしい仲間と仕事をするのは本当に楽しいってこと。dofの社員は当然仲間。そしてクライアントさんも仲間、パートナー企業、一緒に仕事してるメンバーすべてが仲間。素敵な仲間が集まって、同じ旗の下で一緒に仕事をすることは楽しいです。
たとえ組織が変わっても、
dofイズムは変わらない
―齋藤
大島さんが定年を迎えてそれからの10年は、「脱・大島」を探る時間でした。いずれ私が第一線を退くときがくると思うし、「脱・太郎」を探る必要もあると思ってます。その時代に最前線で活躍している人が、新しく会社を創り上げていくのがいいですよね。
私と大島さんのやり方が10年、20年続いたとしても、その先は続かないと思いますし。私自身も若い時、大島さんにチャンスを頂いた経験があって、会社の経営や、マネジメントとか、本当に自由にやらせてもらいました。だからこそ、若い世代の人に、プレッシャーのかかる役割を早めにやっていただくっていうのは、いいんじゃないかなと思っています。
ー大島
そうだね。任せるという責任は我々にあるから、それで失敗しても全然いい。逆に失敗しないと怖いよ。失敗から学ぶことがあるからこそ、新しいことに挑戦して成長できるからね。
―齋藤
設立当時は、大島さんと私とデスクの方と3人で会社を回していましたね。今では20年かけて、社員が増えてきて、圧倒的にできる仕事が増えました。うちの会社だけで完結しなきゃいけないことがいっぱいあるし、そのためにチームをつくってきましたからね。
ー大島
感慨深いな。なんでかな、正直に言うと結構プレッシャーだよね。なにがプレッシャーってさ、1人1人が幸せになって、「dofの仕事をやっててよかった」と思ってほしいからね。
―齋藤
そうですね。現在もdofは優秀な人材を募集中ですが、大島さんはどんな人に来てもらえたら嬉しいですか。
ー大島
どんな人でも、大歓迎ですよ。強いて言えば、仕事を面白いと思ってくれる人。これは好奇心って言ってもいいのかな。仕事を面白いと思ってくれて、その仕事が世の中の役に立つんだと、分かってくれる人がいいですね。
―齋藤
向上心のある人は、自分を高めようと努力しますからね。
あと、うちの会社は「文化と価値の創造」というミッションを掲げているから、カルチャーに合う人が来てくれると、嬉しいなと思っています。dofをシンプルに表している象徴的なものですから、
どんなに仕事が忙しくても、時間がなくても、このカルチャーは残したいですね。
「世界一ハッピーな会社」dofが誕生して、20年目を迎えました。
コミュニケーションの力で人の気持ちを動かし、世の中をより良いハッピーな方向に。
この想いは創業当時から、変わりません。
そんなdofでは、中途入社も募集中です。せっかくなら、ハッピーな会社で働いてみませんか?
ご興味がありましたら、ぜひお気軽にご連絡ください。詳細はこちらから。
recruitment@dof.jp
撮影: 宇佐見 彰太(dof)
構成・文:崎山ひかり(dof)
企業のブランドづくりへ。
“遺る”文化と価値をつくり続ける。
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