Memorial dof talk Vol. 5 <前編>
JIM BEAMチームと語る、大島征夫。
Memorial dof talk Vol. 5 <前編>
JIM BEAMチームと語る、大島征夫。

2024年7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の不世出のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくために。”Memorial dof talk”と題した本企画では、生前大島と親しかった方々から、印象に残るエピソードや、みなさんから見た「大島征夫」という人物像を伺っています。
連載第五回にあたる今回は、大島の最後の仕事のひとつとなったサントリー「JIMハイ」チームのみなさんにお話を伺います。大島のもと結成された、「最期の仕事」のチームメンバーから見た大島征夫はどんな存在だったのか。前後編まとめて、どふぞお楽しみください。
2024年7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の不世出のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくために。”Memorial dof talk”と題した本企画では、生前大島と親しかった方々から、印象に残るエピソードや、みなさんから見た「大島征夫」という人物像を伺っています。
連載第五回にあたる今回は、大島の最後の仕事のひとつとなったサントリー「JIMハイ」チームのみなさんにお話を伺います。大島のもと結成された、「最期の仕事」のチームメンバーから見た大島征夫はどんな存在だったのか。前後編まとめて、どふぞお楽しみください。
それぞれの場所で、それぞれの出会い
それぞれの場所で、それぞれの出会い

― 今回は大島さんとJIM BEAMのハイボール、JIMハイの「一緒に飲みたいだけなんだ!」のキャンペーンを手がけたJIM BEAMチームのみなさまにお話を伺います。まずは大島さんとの出会いからお伺いできますでしょうか?
― 水本さん
今回のJIM BEAM の仕事が、大島さんと初めてご一緒する機会でした。これまでは、クリエイティブ関係のイベントで壇上にいらっしゃる大島さんを遠くから拝見したことはありましたが、実際にお話する機会はなくて。なので、JIM BEAMの仕事に誘っていただいときは、「憧れのサントリーウイスキーの仕事ができる!」と思うのと同時に、「大島さんと仕事ができるチャンスがあるんだ」という喜びが大きかったですね。正直、大島さんと一緒に仕事ができる「若手」の下限はもう過ぎているものだと思っていたので。
― 仕事を一緒にする前の大島さんの印象はどうでしたか?
― 水本さん
これまで幸いにも、佐々木宏さんや太田恵美さんをはじめとする「大島組」の皆さんとお仕事をご一緒する機会に恵まれ、大島さんという“親分”の存在については、たびたびお話を伺ってきました。僕にとっての大島さんのイメージは「すでにレジェンドである佐々木さんや太田さんが尊敬する人」であり、また、僕に近い世代の先輩方からは「まるでお父さんのように愛されている存在」でしたね。
― 齋藤
水本さんからすると、大島さんは2-3世代くらい上の世代になるよね。
― 水本さん
そうですね。なので、ご一緒させて頂くことになってからは、逆に変に構えることもなくて。むしろ「大島さんって、現場ではどんな風にお仕事されるんだろう?」というワクワクの気持ちのほうが大きかったです。
― 今回は大島さんとJIM BEAMのハイボール、JIMハイの「一緒に飲みたいだけなんだ!」のキャンペーンを手がけたJIM BEAMチームのみなさまにお話を伺います。まずは大島さんとの出会いからお伺いできますでしょうか?
― 水本さん
今回のJIM BEAM の仕事が、大島さんと初めてご一緒する機会でした。これまでは、クリエイティブ関係のイベントで壇上にいらっしゃる大島さんを遠くから拝見したことはありましたが、実際にお話する機会はなくて。なので、JIM BEAMの仕事に誘っていただいときは、「憧れのサントリーウイスキーの仕事ができる!」と思うのと同時に、「大島さんと仕事ができるチャンスがあるんだ」という喜びが大きかったですね。正直、大島さんと一緒に仕事ができる「若手」の下限はもう過ぎているものだと思っていたので。
― 仕事を一緒にする前の大島さんの印象はどうでしたか?
― 水本さん
これまで幸いにも、佐々木宏さんや太田恵美さんをはじめとする「大島組」の皆さんとお仕事をご一緒する機会に恵まれ、大島さんという“親分”の存在については、たびたびお話を伺ってきました。僕にとっての大島さんのイメージは「すでにレジェンドである佐々木さんや太田さんが尊敬する人」であり、また、僕に近い世代の先輩方からは「まるでお父さんのように愛されている存在」でしたね。
― 齋藤
水本さんからすると、大島さんは2-3世代くらい上の世代になるよね。
― 水本さん
そうですね。なので、ご一緒させて頂くことになってからは、逆に変に構えることもなくて。むしろ「大島さんって、現場ではどんな風にお仕事されるんだろう?」というワクワクの気持ちのほうが大きかったです。

― 土田さんもJIM BEAMチームの立ち上げとともに大島さんと出会ったんですよね。
― 土田さん
はい。私の場合は大島さんとの仕事はもとより、もともと電通の中でもメディア側の部署にいたので今回のJIM BEAMが初めてのクリエイティブの仕事でした。ジョインさせて頂いたきっかけは、たまたま角もJIM BEAMも置いているお店でウイスキー担当の上長と飲んでいたときに、私がずっと角ハイじゃなくてJIMハイを飲み続けていたこと。学生時代からJIM BEAMが大好きだという話をしたところ、「もしJIM BEAMの仕事が来たらアサインするよ」と言ってくれて、半分冗談だと思っていたら、当時のメディアチームの上長の後押しもあり、本当にそれが実現したんです。
― 前田さん
普通は社内のクリエイティブ・ディレクターやクリエイターとの仕事を何十本もやってから外部のクリエイティブ・ディレクターとかECD(エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター)がいる仕事をやることが多いけど、最初がこの仕事ってすごく濃いね〜(笑)
― 齋藤
20年以上前の話にはなりますが、僕もメディアの担当部署から営業に異動して、初めてのクリエイティブの仕事が大島さんの仕事だったので、一緒ですね。
― 土田さん
これがイレギュラーな仕事だっていうことも知らなかったですし、そもそもCDとかECDって何をする人なんだ?という状態だったので。でも、だからこそ、新しく立ち上げるタイミングから関わらせて頂けたのは本当によかったなと思っています。何より、大島さんとご一緒できるチャンスをいただけたことですし。
― 土田さんもJIM BEAMチームの立ち上げとともに大島さんと出会ったんですよね。
― 土田さん
はい。私の場合は大島さんとの仕事はもとより、もともと電通の中でもメディア側の部署にいたので今回のJIM BEAMが初めてのクリエイティブの仕事でした。ジョインさせて頂いたきっかけは、たまたま角もJIM BEAMも置いているお店でウイスキー担当の上長と飲んでいたときに、私がずっと角ハイじゃなくてJIMハイを飲み続けていたこと。学生時代からJIM BEAMが大好きだという話をしたところ、「もしJIM BEAMの仕事が来たらアサインするよ」と言ってくれて、半分冗談だと思っていたら、当時のメディアチームの上長の後押しもあり、本当にそれが実現したんです。
― 前田さん
普通は社内のクリエイティブ・ディレクターやクリエイターとの仕事を何十本もやってから外部のクリエイティブ・ディレクターとかECD(エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター)がいる仕事をやることが多いけど、最初がこの仕事ってすごく濃いね〜(笑)
― 齋藤
20年以上前の話にはなりますが、僕もメディアの担当部署から営業に異動して、初めてのクリエイティブの仕事が大島さんの仕事だったので、一緒ですね。
― 土田さん
これがイレギュラーな仕事だっていうことも知らなかったですし、そもそもCDとかECDって何をする人なんだ?という状態だったので。でも、だからこそ、新しく立ち上げるタイミングから関わらせて頂けたのは本当によかったなと思っています。何より、大島さんとご一緒できるチャンスをいただけたことですし。
「JIMハイ」はいいな!
コミュニティだ!
「JIMハイ」はいいな!
コミュニティだ!

―小杉さんの大島さんとの出会いはどのタイミングだったのでしょうか。
― 小杉さん
僕は最初のアイデア出しの打ち合わせには参加できなくて、大島さんとお会いできたのは「JIMハイ」のロゴデザインの話がある程度進んだ段階でした。その打ち合わせでは、大島さんが1回も目線を合わせてくれなくて…。
― 齋藤
シャイだからね!
― 小杉さん
やっと目線を合わせてくれたのは、そのあとに飲みに行ったときでした。
― 前田さん
クライアントから、読み方を「ジムハイ」にしたいという話はあったけど、「JIMハイ」の表記でロゴを組んだのは発明だった。大島さんに見せる時にも、これなら絶対にいいと思ってくれると思ったよ。
― 齋藤
大島さんも「JIMハイはいいな!コミュニティだ!」って言ってましたね。
― 小杉さん
それともうひとつ記憶に残っているのは、「店頭とグラスをまずやれ」と言ってもらったことで。前田さんと全体のコミュニケーション設計を詰めながらも、リアルな飲み場との繋ぎこみを常に意識しないとダメだというのを教えていただきました。
―小杉さんの大島さんとの出会いはどのタイミングだったのでしょうか。
― 小杉さん
僕は最初のアイデア出しの打ち合わせには参加できなくて、大島さんとお会いできたのは「JIMハイ」のロゴデザインの話がある程度進んだ段階でした。その打ち合わせでは、大島さんが1回も目線を合わせてくれなくて…。
― 齋藤
シャイだからね!
― 小杉さん
やっと目線を合わせてくれたのは、そのあとに飲みに行ったときでした。
― 前田さん
クライアントから、読み方を「ジムハイ」にしたいという話はあったけど、「JIMハイ」の表記でロゴを組んだのは発明だった。大島さんに見せる時にも、これなら絶対にいいと思ってくれると思ったよ。
― 齋藤
大島さんも「JIMハイはいいな!コミュニティだ!」って言ってましたね。
― 小杉さん
それともうひとつ記憶に残っているのは、「店頭とグラスをまずやれ」と言ってもらったことで。前田さんと全体のコミュニケーション設計を詰めながらも、リアルな飲み場との繋ぎこみを常に意識しないとダメだというのを教えていただきました。

― 小山さんと大島さんとの出会いはいかがでしたか?
― 小山さん
電通に入社したときの配属が大島さんの古巣の第4クリエイティブ局で、大島さんとお仕事をされている方がたくさんいらっしゃいました。私の夫(上田家/コピーライター上田浩和さん)も新入社員の頃から大島さんにお世話になっていたのでずっと話は聞いていたのですが、「どういう人?」ときいても「スゴいんだよ」と言うばかりで、どうスゴいのかが全然わからなくて。他の方々からも「スゴいのよ」「なんかスゴい」とばかり聞いている状態でした。そんな中今回、初めて大島さんと仕事をさせて頂いて、「スゴい」という言葉でしか言い表せないことがわかったんです。あんなに的確でシンプルなディレクションは初めてだったので、とてもビックリしましたし、「スゴい」に集約する感覚がとてもよくわかりました。
― 齋藤
僕は大島さんのディレクションだけを見て育ったので違いがわからないんだけど、他の方のディレクションとはどう違うんでしょうか?
― 小山さん
目指すべき場所、その景色が明確に見えているのがスゴいと思いました。多くの場合、最初の段階ではそれが定まっていなくて、みんなで探しに行こうよ、というのをいろいろなCDの方がやっていると思うんですけど、大島さんの場合は「こういう景色をつくろう」というのが明確で。どういう広告をつくるか、というより、その先にあるものを見ている感じがしましたね。
― 小山さんと大島さんとの出会いはいかがでしたか?
― 小山さん
電通に入社したときの配属が大島さんの古巣の第4クリエイティブ局で、大島さんとお仕事をされている方がたくさんいらっしゃいました。私の夫(上田家/コピーライター上田浩和さん)も新入社員の頃から大島さんにお世話になっていたのでずっと話は聞いていたのですが、「どういう人?」ときいても「スゴいんだよ」と言うばかりで、どうスゴいのかが全然わからなくて。他の方々からも「スゴいのよ」「なんかスゴい」とばかり聞いている状態でした。そんな中今回、初めて大島さんと仕事をさせて頂いて、「スゴい」という言葉でしか言い表せないことがわかったんです。あんなに的確でシンプルなディレクションは初めてだったので、とてもビックリしましたし、「スゴい」に集約する感覚がとてもよくわかりました。
― 齋藤
僕は大島さんのディレクションだけを見て育ったので違いがわからないんだけど、他の方のディレクションとはどう違うんでしょうか?
― 小山さん
目指すべき場所、その景色が明確に見えているのがスゴいと思いました。多くの場合、最初の段階ではそれが定まっていなくて、みんなで探しに行こうよ、というのをいろいろなCDの方がやっていると思うんですけど、大島さんの場合は「こういう景色をつくろう」というのが明確で。どういう広告をつくるか、というより、その先にあるものを見ている感じがしましたね。
お前はギンザを継げ!
お前はギンザを継げ!

― 前田さんと大島さんは長いお付き合いなのでしょうか?
― 前田さん
最初にお会いしたのは2015年ごろにあった、サントリーの方の送別会でした。その方に捧げるビデオの企画プレゼン大会のようなイベントがあって、つくり手として高崎卓馬さん(現・Writing&Design/クリエイティブ・ディレクター)や権八成裕さん(現・ゴンパ / CMプランナー)といった錚々たるメンバーが集まったんだけど、その時の審査員席に大島さんがいたんです。初めて喋ったのは、後日たまたま銀座のお店に居合わせたときで、僕の方からお声掛けをして名刺を交換しました。初めて飲みに行ったのはその1ヶ月後くらいで、岩井大さん(現・電通アドギア/代表取締役社長)と3人で寿司屋に行って、大島さんと岩井さんは一杯目がハイボールだったんだけど、僕がビールを頼んだら「お前最初はビールか!若いな!」って言われて、「間違えたかな」って思って(笑)
― 前田さんと大島さんは長いお付き合いなのでしょうか?
― 前田さん
最初にお会いしたのは2015年ごろにあった、サントリーの方の送別会でした。その方に捧げるビデオの企画プレゼン大会のようなイベントがあって、つくり手として高崎卓馬さん(現・Writing&Design/クリエイティブ・ディレクター)や権八成裕さん(現・ゴンパ / CMプランナー)といった錚々たるメンバーが集まったんだけど、その時の審査員席に大島さんがいたんです。初めて喋ったのは、後日たまたま銀座のお店に居合わせたときで、僕の方からお声掛けをして名刺を交換しました。初めて飲みに行ったのはその1ヶ月後くらいで、岩井大さん(現・電通アドギア/代表取締役社長)と3人で寿司屋に行って、大島さんと岩井さんは一杯目がハイボールだったんだけど、僕がビールを頼んだら「お前最初はビールか!若いな!」って言われて、「間違えたかな」って思って(笑)

― 齋藤
その頃大島さん、「俺もうビール飲めないんだよ」って言ってましたからね(笑)
― それ以降、大島さんとお仕事もされていたのでしょうか?
― 前田さん
仕事は一切してなかったですね。大体3ヶ月に1回くらい、銀座で飲む時に呼んでもらって飲みに行くってのを8年。最初から「マエコーとは仕事はしないけど、お前はギンザを継げ!」って言われて(笑)それで8年経って、電通の牧さん(当時、JIM BEAM担当営業部長)から「マエコーさん、出番です」っていう電話がきて、JIM BEAMのコミュニケーションをやることになったんです。
― 齋藤
大島さんから銀座をちゃんと引き継いだのは前田さんだけだよね。その前田さんと最後に一緒に仕事をしたっていうのは、ご縁を感じます。
― 前田さん
大島さん、「マエコーは仕事できんのか?」って言ってたみたいだけどね(笑)
― 齋藤
それも言ってたけど、最初のプレゼンが終わったあと「前田ってあんなにプレゼンが上手いんだな!銀座で飲んでるだけかと思ってたよ!」って何回も言ってました。(笑)
― 齋藤
その頃大島さん、「俺もうビール飲めないんだよ」って言ってましたからね(笑)
― それ以降、大島さんとお仕事もされていたのでしょうか?
― 前田さん
仕事は一切してなかったですね。大体3ヶ月に1回くらい、銀座で飲む時に呼んでもらって飲みに行くってのを8年。最初から「マエコーとは仕事はしないけど、お前はギンザを継げ!」って言われて(笑)それで8年経って、電通の牧さん(当時、JIM BEAM担当営業部長)から「マエコーさん、出番です」っていう電話がきて、JIM BEAMのコミュニケーションをやることになったんです。
― 齋藤
大島さんから銀座をちゃんと引き継いだのは前田さんだけだよね。その前田さんと最後に一緒に仕事をしたっていうのは、ご縁を感じます。
― 前田さん
大島さん、「マエコーは仕事できんのか?」って言ってたみたいだけどね(笑)
― 齋藤
それも言ってたけど、最初のプレゼンが終わったあと「前田ってあんなにプレゼンが上手いんだな!銀座で飲んでるだけかと思ってたよ!」って何回も言ってました。(笑)

JIM BEAMチームと語る、大島征夫。
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佐々木宏が語る、大島征夫。
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CARAPPO立ち上げの裏側に迫る。
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仲畑貴志が語る大島征夫。
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