クリエイティブ・ディレクター
佐々木宏が語る、大島征夫。
クリエイティブ・ディレクター
佐々木宏が語る、大島征夫。

2024年7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の唯一無二のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくためにスタートした企画が“Memorial dof talk”です。本企画では毎回大島と関係が深かった皆さんへお話を伺い、大島の知られざる人となりに迫ります。第四弾に当たる今回のゲストは、『連』代表でクリエイティブ・ディレクターの佐々木宏さん。
電通時代、大島に存在を見いだされ、その後も大島と数々の案件を共にした佐々木さんからどんな逸話が飛び出すのか?どふぞご期待ください。
2024年7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の唯一無二のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくためにスタートした企画が“Memorial dof talk”です。本企画では毎回大島と関係が深かった皆さんへお話を伺い、大島の知られざる人となりに迫ります。第四弾に当たる今回のゲストは、『連』代表でクリエイティブ・ディレクターの佐々木宏さん。
電通時代、大島に存在を見いだされ、その後も大島と数々の案件を共にした佐々木さんからどんな逸話が飛び出すのか?どふぞご期待ください。
「目を合わせないでおこう」
正直、そう思った第一印象。

齋藤:本日は、お忙しい中お時間をいただきありがとうございます。
佐々木さん:いえいえ、なんでも聞いてください。
齋藤:佐々木さんがシンガタを卒業され、『連』をつくられてから何年ですか?
佐々木さん:電通を卒業したのが、48歳の時。2003年に『シンガタ』を黒須さん、権八らとつくり、2019年に卒業し、『連🚀』を立ち上げてから今年で6年だね。
齋藤:そんなに経ちますか。早いですね。
ー 電通からシンガタを経て、いまは『連』で数々のクリエイティブを手がけられている佐々木さんですが、大島さんと出会ったのは電通の若手時代だったと伺っています。その出会いについてお聞きしてもよろしいでしょうか?
佐々木さん:43年前になるのかな。俺は28歳で、電通の新聞雑誌局からクリエイティブ局に転局してコピーライターになった頃でした。大島さんとは部もフロアも違ったんだけど、「大島征夫」という名前は当時から知っていて。

齋藤:もうその頃からスターだったんですか?
佐々木さん:うん、大島さんは電通の中でも一流のプランナーやコピーライターが集まる部にいて、主にTOYOTAの仕事をやっていた。「百恵の、赤い靴」なんかをやっていてさ。大島さんが38歳ぐらいの時かな。クリエイティブ・ディレクターになるかならないか、というくらいの時期。当時は大島さんは俺のことを知らないけど、俺は大島さんのことを一方的に知っているという感じだった。

▲ 大島がコピーライターをつとめたTOYOTAターセル/コルサの広告

齋藤:その後は、どんなきっかけで大島さんと知り合ったんですか?
佐々木さん:ある日、いきなり大島さんが俺たちがいるフロアに来て「暗いなぁ!この部屋!」って言ったんだよね。「なに、この暗い部屋!なんかコピーライターって暗いなぁ!」って。自分もコピーライターのくせに言うわけ(笑)
齋藤:え!?(笑)
ー それは暴言ですね。
佐々木さん:俺は仲畑さんや糸井さん、眞木準さんのコピーに感化されてコピーライターになったんだけど、当時は憧れていたような華々しいコピーの仕事は巡ってこなかった。それでも自分なりに一生懸命コピーを書いていたんだよね。ボツコピーの原稿用紙を七夕の短冊みたいに切って、デスク周りのボードに貼ったりしてさ。その時俺がいた部は、周りもそんなに仕事が忙しくないところだったから、そんなドンヨリした空気を大島さんは見抜いたんだろうね。

齋藤:それにしても、うちのボスが失礼しました。(笑)
佐々木さん:まぁ、大島さんらしい話だけどさ。でも当時は、その人が大島さんだとは分かっていなかったし、突然そんな乱暴なことを言うスカしたお兄さんが自分のフロアにやってきたものだから、「ヤバい!目を合わせないでおこう」と思った(笑)。そうしたらね、フロアを闊歩していた大島さんが俺の後ろで立ち止まるわけ。デスクに貼ってあるコピーをジーっと見てさ。俺からすると「くわばら、くわばら」って感じだったよ。それでしばらくしたら、「これ、お前が書いたのか?」って聞いてくるものだから「はい」って答えたら、「面白いじゃねぇか」って言って。3つ、気に入ったのをベリべリって剥がしていった。それが大島さんとの出会いだったね。
「佐々木宏」という才能の発見。

▲ 大島邸にて、旧大島部のみなさま。前列左から佐々木さん、関裕敏さん、大島征夫、太田恵美さん。
ー それからお二人は一緒にお仕事をされるようになっていったのでしょうか?
佐々木さん:うん、流れは細かく覚えていないんだけど、「角川書店の仕事があるから」って誘われたんだよね。それが「カドカワノベルズ」という新書レーベルのコンペで。大島さんとは局が違うから本来そんなことはできないんだけど、大島さんは俺のことを誘ってくれた。それで当時いつも一緒にアイデアを考えていたデザイナーの関裕敏くんと一緒にコンペの企画を考えることになった。恐らく大島さんには別の本命チームがあって、その代案という形で若手の僕らのチームにもチャンスをくれたんだと思う。それでも初めての大仕事があまりにも嬉しかったものだから、頑張って「ゴホンといったらカドカワノベルズ」というコピーを書いてさ。これは「角川ノベルズ」の響きが薬っぽかったから、その薬っぽさを活かそうと思って考えたコピーだった。全20巻の本を薬箱に見立てて、関くんがデザインを作って。それで、“薬箱を書店に置く”っていうクリエイティブを仕掛けようって話になった。で、実際このアイデアを、競合コンペで角川春樹さんに見せに行くことになったんだよね。

▲ 「ゴホンといったらカドカワノベルズ」のクリエイティブ。

齋藤:角川さんご本人にですか。それは身震いする経験ですね。
佐々木さん:そう。それでプレゼンをしたら、角川春樹さんが企画をすごく気に入ってくれて。「もう後のチームは見なくていいから」ってなって。大島さんも若手の采配が的中して、「してやったり」って感じだよね。大島さんは電通の中ではスターだったけど、角川春樹さんっていったら超有名人なわけだから。そんな二人に認められたのが、本当に嬉しかった。
齋藤:なるほど、それはすごい経験ですね!しかし、佐々木さんは当時別の局だったんですよね。ぼくも電通にいたから分かりますが、局を跨いでチームをつくるのはなかなか大変なものです。大島さんも佐々木さんをアサインするのはかなり力技だったんじゃないですか?

佐々木さん:そうだね。大島さんが無理やり抜擢してくれたんだと思う。俺が元々いた部署はあまりにも仕事が無かったから、強引に使ってくれたんじゃないかな(笑)。大島さんのなんとも言えない“乱暴なエコ贔屓”が、俺のことを救ってくれた。当時の俺は何となく燻っていたし、本当によく発見してもらえたな、と思います。
ー その後は、大島さんとどんなお仕事をご一緒されたんですか?
佐々木さん:TOYOTAの企業広告の仕事も印象的だね。TOYOTAが環境問題に取り組むことを訴える企業広告を考えていたんだけど、プロジェクトのアート・ディレクターをやっていた中森陽三さんがある日の打ち合わせに『ドリトル先生』という文庫本を持ってきた。ドリトル先生は動物と話せる医者の物語。チームにいたメンバーみんなが「これは素晴らしいね!」となって、ドリトル先生を切り口に、企画を考えていくことになって。それで俺が書いたのが「クルマなんてなくてもいい、とある日思った。クルマがあってああよかった、と次の日思った。」というコピーだった。

齋藤:考えさせられる素晴らしいコピーですね。
佐々木さん:その頃のTOYOTAの広告は「次の時代へTOYOTAがお連れします」みたいな、堅苦しいのが多かったんだよ。「いいクルマってなんだろう」とか「クルマなんていらない」なんてコピーはあり得なかった。でも、それを、うん、これ、いいかもしれないぞ!と言ってくれたのが、大島さんだった。大島さんは多分、自分と違う価値観を持っているから俺のことを気に入ったんじゃないかな。普通の人だったら、自分と価値観が違ったら躊躇すると思う。でも、大島さんはそうしなかった。俺の価値観を認めて、好きにコピーを書かせてくれた。

▲ 大島部のみなさまの集合写真。真ん中の茶色いセーターが大島、最後列の一番右が佐々木宏さん。
齋藤:当時は大島さんの部に転属されていたんですか?
佐々木さん:TOYOTAをやっていた頃は、もう大島部にいたと思う。大島部にいた頃も、その前も、大島さんは頻繁にチャンスをくれた。すごい仕事をどんどん任せてくれた。悪く言うと丸投げしてきて、よく言うと大仕事を全部任せてくれる(笑)。例えば当時はタレントが出ている広告なんて超一流企業の広告ばっかりだったんだけど、そういう仕事も任せてくれた。多分、大島さんは山ほど仕事を抱えていたから、どんどん若手に任せるしかなかったんだと思うけど(笑)。とにかく、何もできない若造に、よくあんなにチャンスをくれたなぁ…と今でも思うね。

▲ 大島部で佐々木さんが制作されていた部内新聞。
齋藤:人の抜擢に、本当に長けた方でした。
佐々木さん:大島さんは俺を直接褒めることはなかったけど、人に紹介するときは「こいつは天才だから」って紹介してくれた(笑) まだ20代で賞を獲っていない俺に「天才」とか、それに類するような最上級の褒め言葉を使っていた。正直、俺はコピーってどう書いたらいいか分かってなかったし、現に下手だったし、それなのに、コピーを何年も書いているようなベテランの皆さんたちの前で「お前らより佐々木の方が才能あるから」と。いまだったら、かなりのハラスメントというか、いやーなことを平気で言っちゃう人だった。俺はそれで、逆に肩身狭くもあったが、同時に、調子に乗らせてもらった部分もあった。
仲間へ、クライアントへ、
深すぎるほどの愛を。

齋藤:大島さんの話をしてていつも思うのは、気遣いの人じゃないですか。でも、それでいて乱暴みたいな。そのバランスが取れている不思議な人でしたよね。
佐々木さん:うん。「ここだ!」って決めたときの突破力の強さみたいなものがすごい。会議で、ザワザワみんなが意見を言っているときに「今から俺が言うことが一番正しい」という勢いで自分の意見を述べる。でも、それは決して上から目線ではなくて、クライアントのこともクリエイターのことも、全員のことを考えているんだよね。男っぽいんだけど繊細で。すごく優しさを持っている人だった。これは、別に亡くなったから綺麗ごとを言っているんじゃなくて、本当に愛した仲間たちを大切にする人だった。
齋藤:愛が深い人でしたよね。
佐々木さん:気持ち悪いくらい、愛が深い人だった。
齋藤:あと大島さんは歴史が好きだったんですけど、“どうやって企業が勝つのか”を歴史から考えるのが好きだったなと思いますね。佐々木さんから見るとどうでしたか?
佐々木さん:“戦い”をするのが凄く上手い人だと思う。風貌や普段の立ち振る舞いは織田信長みたいな冷徹さを感じるけど、実際は仲間のことを思って、長く仕事をすることを考えている。そういう優しさをもった徳川家康みたいな側面もある人だと思うね。本当の意味で勝つってことを考えることが好きだった。
齋藤:戦いの時間軸を長めに見ていましたね。
佐々木さん:やっぱり、歴史が好きだったんだろうね。“今日が過去になる”ことを強く意識しているから、世間の価値観や流行が変わっても、それでも普遍的に残り続ける広告を意識していたと思う。俺は、そこまでレベルの高い話を大島さんとする機会はなかったけど。

▲ 佐々木さん歌唱のレコードが流れるプレーヤーの前で。
齋藤:それから、大島さんは仲間だけでなくクライアントに対しても愛が深い人でした。
佐々木さん:長続きする広告っていうのは、クライアントに気に入られてないといけないんだよね。そういう意味で、俺はクライアントに寄り添った、クライアントのことを深くまで思った広告をつくりたいと思っている。大島さんのTOYOTAやSUNTORYに対する直接的な愛とは違うかもしれない。時には 何十年も仕事をしたクライアントの商品を「大っ嫌い」と思っていたりすることもある。それでも、“クライアントを思う”っていう意味では大島さんに似た部分があるんだよな。大島さんは分かりやすくクライアントに愛を伝えて、俺は照れくさいから「大っ嫌い」とか言いながら。でも、広告を作るときはクライアントのことを思う。大島さんとは最近仕事をしていなかったけど、改めて考えるとものすごい恩恵に預かっているんだよなぁと。本当に存在が大きいよなぁ。嫌になっちゃう。
齋藤:僕にとっても大島さんは父親みたいな存在だったので、佐々木さんの喪失感はよく分かります。
佐々木さん:太郎の場合は本当の息子みたいなもんだからいいじゃん。俺の場合は「お前なんて産んだ覚えはない!」って言われそうじゃん(笑)
齋藤:いえいえ(笑)
ー 話は飛ぶのですが、佐々木さんは2003年にシンガタを作られましたよね。dofが2005年なんです。お互い電通から独立したタイミングが近かったのですが、佐々木さんから見て、大島さんが独立したのはどう見られていましたか?
佐々木さん:当時のdofはまだイマイチよく分からなかったんだけど…。あのまま大島さんが電通に残って、役員になるよりはよかったと思う。でも、もっとシンガタの近くにdofのオフィスを作って欲しかったかな。

齋藤:大島さん、青山のあたりはあまり好きじゃなかったんですよね。
佐々木さん:わかる(笑)。どちらかというと、上野とかの方が好きだもん。
齋藤:粋な場所が好きで、粋でありたいと思っていた人でした。
佐々木さん:彼は神奈川県の高校から早稲田でしょ。元々、格好いい育ちなんだよ。お洒落じゃない人の負のオーラも打ち消す力があったよね。垢抜けたものが好きだったから、キラキラしていた。きっと最初に出会ったときの「コピーライターって暗いやつばっかりだな!」って発言も、「コピーライターはもっと垢抜けて世界を変えていかないといけない!」という気持ちがあったからだと思う。俺らからするとキラキラしていて、いつも乱暴なことを言って、たまに可愛がってくれる、お兄さんみたいな存在だった。もしくは、お金持ちのおぼっちゃんが、そのまま大きくなったみたいなところもあったかも。スネ夫とジャイアンのハイブリットが成長したみたいな? 言い過ぎか、、、
齋藤:大島さんから「死後、俺を神格化するなよ」と言われていましたので全く問題ないと思います(笑)。ありがとうございました!
Memorial dof talk vol.4はいかがでしたか?次回も、大島と生前関係が深かった方へお話を伺います。どふぞお楽しみに。

CARAPPO立ち上げの裏側に迫る。
CARAPPO立ち上げの裏側に迫る。
check this talk



仲畑貴志が語る大島征夫。
仲畑貴志が語る大島征夫。
check this talk



一度限りの上場広告に
どう熱量を込めるか?
志の共鳴が生んだ
クリエイティブ誕生秘話
一度限りの上場広告に
どう熱量を込めるか?
志の共鳴が生んだ
クリエイティブ誕生秘話
check this talk



check this talk

