2025.04.24

ライバル、そして盟友。
仲畑貴志が語る大島征夫。

ライバル、そして盟友。
仲畑貴志が語る大島征夫。

7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の不世出のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくために。”Memorial dof talk”と題した本企画では、生前大島と親しかった方々から、印象に残るエピソードや、みなさんから見た「大島征夫」という人物像を伺っています。連載第三回にあたる今回は、コピーライターの仲畑貴志さんにお話を伺いました。
広告業界をともに半世紀以上駆け抜けたライバルであり盟友であった仲畑さんから見える大島征夫はどんな存在だったのか。どふぞお楽しみください。

7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の不世出のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくために。”Memorial dof talk”と題した本企画では、生前大島と親しかった方々から、印象に残るエピソードや、みなさんから見た「大島征夫」という人物像を伺っています。連載第三回にあたる今回は、コピーライターの仲畑貴志さんにお話を伺いました。
広告業界をともに半世紀以上駆け抜けたライバルであり盟友であった仲畑さんから見える大島征夫はどんな存在だったのか。どふぞお楽しみください。

参加メンバー

参加メンバー

ライバルから盟友へ。

ライバルから盟友へ。

ー 今回のMemorial dof talkのゲストはコピーライターの仲畑貴志さんです。まずは大島さんとの出会いについて、教えていただけますでしょうか。

―仲畑さん
30歳になる前くらいかな。俺が独立したのが32歳のときだから、まだサンアドにいたときだね。東京コピーライターズクラブ(以下、TCC)のいろいろな催しがあって、そういうところで顔を合わせていた。

―齋藤
当時の大島さんの印象はいかがでしたか?

―仲畑さん
彼は電通のスターだったからね。当時から「飲もうの人」だったから一緒に飲んではいたけど、その頃はTCCのメンバーも何人かいて、サシで飲みに行くような仲じゃなかった。

―齋藤
ボクと大島さんがdofを立ち上げた頃にはよくサシで飲みに行かれている印象でしたが、よく飲まれるようになったのはいつ頃からだったんですか?

―仲畑さん
大島さんが58歳くらいで、俺が55-6歳の頃だったと思う。それからは、それまでの時間を埋め合わせるかのように本当によく飲みに行った。銀座って狭い村だから、どちらかが飲んでると情報がすぐに回ってくるんだよね。

―齋藤
ということは、大島さんがボクと独立される数年前からなんですね。 何度も飲みにいく関係になった理由は何かあったんですか?

―仲畑さん
お互い気を遣う関係じゃなかったのがよかった。気を遣うっていうのは、その人に嫌われたくないとか、好かれたいとか、何か欲求があるわけじゃない。俺も大島さんも、お互いにもう嫌われることもないし、好かれる必要もないし、お互いに対して求めるものが何もないんだよ。相手に要求することが何もないからこそ、全く気を遣わなくていい関係だった。

 

ー 今回のMemorial dof talkのゲストはコピーライターの仲畑貴志さんです。まずは大島さんとの出会いについて、教えていただけますでしょうか。

―仲畑さん
30歳になる前くらいかな。俺が独立したのが32歳のときだから、まだサンアドにいたときだね。東京コピーライターズクラブ(以下、TCC)のいろいろな催しがあって、そういうところで顔を合わせていた。

―齋藤
当時の大島さんの印象はいかがでしたか?

―仲畑さん
彼は電通のスターだったからね。当時から「飲もうの人」だったから一緒に飲んではいたけど、その頃はTCCのメンバーも何人かいて、サシで飲みに行くような仲じゃなかった。

―齋藤
ボクと大島さんがdofを立ち上げた頃にはよくサシで飲みに行かれている印象でしたが、よく飲まれるようになったのはいつ頃からだったんですか?

―仲畑さん
大島さんが58歳くらいで、俺が55-6歳の頃だったと思う。それからは、それまでの時間を埋め合わせるかのように本当によく飲みに行った。銀座って狭い村だから、どちらかが飲んでると情報がすぐに回ってくるんだよね。

―齋藤
ということは、大島さんがボクと独立される数年前からなんですね。何度も飲みにいく関係になった理由は何かあったんですか?

―仲畑さん
お互い気を遣う関係じゃなかったのがよかった。気を遣うっていうのは、その人に嫌われたくないとか、好かれたいとか、何か欲求があるわけじゃない。俺も大島さんも、お互いにもう嫌われることもないし、好かれる必要もないし、お互いに対して求めるものが何もないんだよ。相手に要求することが何もないからこそ、全く気を遣わなくていい関係だった。

 

―齋藤
一方で、お互いに尊敬しているのは感じていました。大島さんよりも年齢は下だけど、広告業界では先輩として早くから結果を出されている仲畑さんのことを尊敬されていたのだと思います。仲畑さんから見て、大島さんのどんなところが尊敬できる点だと思われていましたか。

―仲畑さん
やっぱり人柄だよね。人柄っていうのは一番の価値。タバコ片手に持ってニカーって笑ってる大島さんの顔って言ったら、みんな目に浮かぶでしょ。
あと、一番すごいと思うのは、遊ぶ誘いを断ったことが1回もないところ。

―齋藤
仲畑さんのことが好きだったんですよ。尊敬してたんですよ。

―仲畑さん
そうかなあ…。でも、断られたことは本当に1回もないよ。
「今から伊豆に行くんだけど来ない?店も用意してあるよ」っていう具合に「今から」みたいな誘いも多かった(笑)

―齋藤
それわかります(笑) 昔のライバルが、盟友になったんですね。

―齋藤
一方で、お互いに尊敬しているのは感じていました。大島さんよりも年齢は下だけど、広告業界では先輩として早くから結果を出されている仲畑さんのことを尊敬されていたのだと思います。仲畑さんから見て、大島さんのどんなところが尊敬できる点だと思われていましたか。

―仲畑さん
やっぱり人柄だよね。人柄っていうのは一番の価値。タバコ片手に持ってニカーって笑ってる大島さんの顔って言ったら、みんな目に浮かぶでしょ。
あと、一番すごいと思うのは、遊ぶ誘いを断ったことが1回もないところ。

―齋藤
仲畑さんのことが好きだったんですよ。尊敬してたんですよ。

―仲畑さん
そうかなあ…。でも、断られたことは本当に1回もないよ。
「今から伊豆に行くんだけど来ない?店も用意してあるよ」っていう具合に「今から」みたいな誘いも多かった(笑)

―齋藤
それわかります(笑) 昔のライバルが、盟友になったんですね。

▲ 仲畑さん、大島。2015年5月 大島征夫 古希のパーティにて。

―仲畑さん
俺が「秋田行ったことないんだよね」って言ったら、「行こう行こう、電車で行こう!」なんてこともあったな。俺は鉄ちゃんじゃなかったから、「行くなら飛行機で行って待ってるよ」って返したけど。

―聞き手
2人で飲む時は、どんなふうに飲んでいたんですか?

―仲畑さん
根津、千駄木、上野あたりの知らない店にいっぱい連れて行ってくれた。本当にいっぱい!何軒も回って、朝まで飲んで。大島さんは子どもみたいなところがあってね、「そろそろ、明日もあるからさ。酔ってるし、帰ろうよ。」って言うと「酔ってない!俺は帰らない!」って言うわけ。「こうなったらもう、朝まで行くか!」って言うと「朝まではキツいだろ!」って逆を言うの(笑)
だけど、すごく楽しいの。それをやってるのが。そして大島さんがすごいのはさ、どこに行っても愛されてるんだよ。

―齋藤
本当に、お店の人と仲良くなるのが上手でした。あれは不思議なチカラでしたね。
人のいいところを見つけるのがすごく上手だったけれど、お店のいいところを見つけるのもすごく上手だったからだと思っています。

―仲畑さん
たくさんの人と飲んできたけど、そんな人いないよ。いいところを見つける。俺もそうしなきゃいけないな。本当にいいところを見ていれば、ハッピーな世の中だよね。

 

―仲畑さん
俺が「秋田行ったことないんだよね」って言ったら、「行こう行こう、電車で行こう!」なんてこともあったな。俺は鉄ちゃんじゃなかったから、「行くなら飛行機で行って待ってるよ」って返したけど。

―聞き手
2人で飲む時は、どんなふうに飲んでいたんですか?

―仲畑さん
根津、千駄木、上野あたりの知らない店にいっぱい連れて行ってくれた。本当にいっぱい!何軒も回って、朝まで飲んで。大島さんは子どもみたいなところがあってね、「そろそろ、明日もあるからさ。酔ってるし、帰ろうよ。」って言うと「酔ってない!俺は帰らない!」って言うわけ。「こうなったらもう、朝まで行くか!」って言うと「朝まではキツいだろ!」って逆を言うの(笑)
だけど、すごく楽しいの。それをやってるのが。そして大島さんがすごいのはさ、どこに行っても愛されてるんだよ。

―齋藤
本当に、お店の人と仲良くなるのが上手でした。あれは不思議なチカラでしたね。
人のいいところを見つけるのがすごく上手だったけれど、お店のいいところを見つけるのもすごく上手だったからだと思っています。

―仲畑さん
たくさんの人と飲んできたけど、そんな人いないよ。いいところを見つける。俺もそうしなきゃいけないな。本当にいいところを見ていれば、ハッピーな世の中だよね。

 

フェアだからこそ、できる仕事。

フェアだからこそ、できる仕事。

▲ 2008年 仲畑さん・齋藤の対談 @電通ホール

▲ 2008年 仲畑さん・齋藤の対談 @電通ホール

― 仲畑さんと齋藤の出会いは?

―齋藤
dofを立ち上げてから、大島さんのつながりでお会いしたのが初対面でしたね。その時仲畑さんに、第一声「お前、帰国子女だろ」って言われて(笑)

―仲畑さん
だって太郎は昔からそうじゃん。当時も今も、俺はストレートトークする生意気な若いヤツが大好きなの。フェアで、チャーミングで、意地悪とズルをしない人が一番だと思うから。

―齋藤
いろいろと目をかけていただいて、本当にありがたかったです。大島さんもフェアな人でしたね。

― 仲畑さんと齋藤の出会いは?

―齋藤
dofを立ち上げてから、大島さんのつながりでお会いしたのが初対面でしたね。その時仲畑さんに、第一声「お前、帰国子女だろ」って言われて(笑)

―仲畑さん
だって太郎は昔からそうじゃん。当時も今も、俺はストレートトークする生意気な若いヤツが大好きなの。フェアで、チャーミングで、意地悪とズルをしない人が一番だと思うから。

―齋藤
いろいろと目をかけていただいて、本当にありがたかったです。大島さんもフェアな人でしたね。

―仲畑さん
フェアですよ。だからこそ付き合ってこられた。
大島さんには伝えていたんだけど、あなた(太郎)はちゃんと理念や信念を持ってやってるなと思っていて、素晴らしいことだと思うよ。クライアントとも言いたいことを言える関係を築いている。そういう関係じゃないと、いいものって作れないから。dofには大島さんや太郎が作って来たそういうカルチャーが根付いているよね。

ー 仲畑さんは、大島さんとのお仕事はどのくらいされていたんですか。

―仲畑さん
一緒にやった仕事は多くはなかった。サントリーの角と、オールドかな。角は俺が「絶対に仲條正義さんとやりたい」って言って彼にデザインしてもらった。大島さんはそれで仲條さんを知って、すごく感謝してくれたんだよ。

―齋藤
仲畑さんが仲條さんを紹介してくださったんですね。dofのロゴも仲條さんにデザインしていただきました。オールドは、井上陽水さんに出ていただいた広告でしたね。

―仲畑さん
フェアですよ。だからこそ付き合ってこられた。
大島さんには伝えていたんだけど、あなた(太郎)はちゃんと理念や信念を持ってやってるなと思っていて、素晴らしいことだと思うよ。クライアントとも言いたいことを言える関係を築いている。そういう関係じゃないと、いいものって作れないから。dofには大島さんや太郎が作って来たそういうカルチャーが根付いているよね。

ー 仲畑さんは、大島さんとのお仕事はどのくらいされていたんですか。

―仲畑さん
一緒にやった仕事は多くはなかった。サントリーの角と、オールドかな。角は俺が「絶対に仲條正義さんとやりたい」って言って彼にデザインしてもらった。大島さんはそれで仲條さんを知って、すごく感謝してくれたんだよ。

―齋藤
仲畑さんが仲條さんを紹介してくださったんですね。dofのロゴも仲條さんにデザインしていただきました。オールドは、井上陽水さんに出ていただいた広告でしたね。

▲ 仲條正義さんデザインのdofロゴ

▲ 仲條正義さんデザインのdofロゴ

サントリーオールドCM(2005)

▲ サントリーオールドCM(2005)

サントリーオールドCM(2005)

▲ サントリーオールドCM(2005)

― 逆に、競合する関係になったこともあったのでしょうか。

―仲畑さん
あまりなかったかな。大島さんは電通で、クリエイティブのボスになっていって、俺は独立して一匹狼だったから、流儀が違った。大島さんはそんな俺を見て、「ひとり電通」なんて言っていたみたい。過分なネーミングだけどね(笑)

―齋藤
ライバルとしてリスペクトされてたんだと思います。

ー仲畑さん
大島さんは、電通っていう組織の中で才能を見つけて、オーガナイズするのが本当に上手だった。大島さんが佐々木宏さんや岡康道さん、太田恵美さんをはじめ、多くのスターを育てたのも本当にすごいと思う。人をつくるって一番すごいことだからね。なかなかできない。

―齋藤
それも先ほどの「いいところを見つけるのが上手」という話と繋がっていると思います。大島さんといると「この人に褒めてほしいな」っていう具合に、なんだかやる気になっちゃうんですよ。

ー仲畑さん
わかるなぁ。
人を育てるっていうところで大島さんと俺の共通点があるとしたら、
「大事なことは飲みながら教える」ことかな(笑)

― 逆に、競合する関係になったこともあったのでしょうか。

―仲畑さん
あまりなかったかな。大島さんは電通で、クリエイティブのボスになっていって、俺は独立して一匹狼だったから、流儀が違った。大島さんはそんな俺を見て、「ひとり電通」なんて言っていたみたい。過分なネーミングだけどね(笑)

―齋藤
ライバルとしてリスペクトされてたんだと思います。

ー仲畑さん
大島さんは、電通っていう組織の中で才能を見つけて、オーガナイズするのが本当に上手だった。大島さんが佐々木宏さんや岡康道さん、太田恵美さんをはじめ、多くのスターを育てたのも本当にすごいと思う。人をつくるって一番すごいことだからね。なかなかできない。

―齋藤
それも先ほどの「いいところを見つけるのが上手」という話と繋がっていると思います。大島さんといると「この人に褒めてほしいな」っていう具合に、なんだかやる気になっちゃうんですよ。

ー仲畑さん
わかるなぁ。
人を育てるっていうところで大島さんと俺の共通点があるとしたら、
「大事なことは飲みながら教える」ことかな(笑)

▲ 仲畑さんの数ある代表作のひとつ「SONYウォークマン」(1987)

▲ 仲畑さんの数ある代表作のひとつ「SONYウォークマン」(1987)

― 仲畑さんは、長く続く商品の広告を多く手掛けられてきましたね。

―仲畑さん
最初は、ウォークマンがあんなに売れるとは思ってなかった。ウォシュレットもそう。

―齋藤
「波に乗ったな」っていう時は、やはり気持ちよかったですか?

― 仲畑さんは、長く続く商品の広告を多く手掛けられてきましたね。

―仲畑さん
最初は、ウォークマンがあんなに売れるとは思ってなかった。ウォシュレットもそう。

―齋藤
「波に乗ったな」っていう時は、やはり気持ちよかったですか?

▲ TOTOウォシュレット「おしりだって、洗ってほしい」(1982)

―仲畑さん
広告をやっていたら、その商品が育つのを見るのは快楽だよね。同時に、機能する商品にはライフサイクルがある、というのも感じる。ウォシュレットは続いているけど、ウォークマンはそのサイクルが終わっているわけじゃない。そう考えると、ウイスキーというのは特殊な商品で、有史以前からあるようなものだから面白いよね。機能らしい機能がないから、「飲んだら酔います」じゃ広告にならない。だから、ウイスキーがもたらしてくれる人の心の動きみたいなものが表現になるわけで、表現する方からするとやりがいのある商品だなと思う。

―仲畑さん
広告をやっていたら、その商品が育つのを見るのは快楽だよね。同時に、機能する商品にはライフサイクルがある、というのも感じる。ウォシュレットは続いているけど、ウォークマンはそのサイクルが終わっているわけじゃない。そう考えると、ウイスキーというのは特殊な商品で、有史以前からあるようなものだから面白いよね。機能らしい機能がないから、「飲んだら酔います」じゃ広告にならない。だから、ウイスキーがもたらしてくれる人の心の動きみたいなものが表現になるわけで、表現する方からするとやりがいのある商品だなと思う。

▲ 大島さんの遺灰に献杯

▲ 大島さんの遺灰に献杯

―齋藤
仲畑さんは、ウイスキーが愛されていた時代に、「トリスの味は人間味。」をはじめ広告の歴史に残るような仕事をたくさんされていましたね。

―仲畑さん
たくさん作りました。当時はもう、コピーを書かないで喋ってたもん。デザイナーの葛西薫さんが横にいて、「これで組んで!」とか言ってね。

―齋藤
口述筆記だったんですね(笑)

ー仲畑さんが担当しなくなってから、しばらく間をおいてウイスキーの消費のダウントレンドが20年以上続いて、その後「ハイボール」で盛り上がっているのをご覧になって、どう思われていましたか?

―仲畑さん
きっかけっていうのは、昔の文脈じゃなくて、違う形で来るんだなと思ったね。俺の先輩の開高健さんの頃から、レトリックを駆使してウイスキーに文化を塗って塗って塗り込めていた時代があって。それがある程度いって衰退したときに、全く違う文脈で行かないとダメなんだと思った。それを大島さんが見事にやってのけたのは、素晴らしいなと感じたね。

―齋藤
仲畑さんは、ウイスキーが愛されていた時代に、「トリスの味は人間味。」をはじめ広告の歴史に残るような仕事をたくさんされていましたね。

―仲畑さん
たくさん作りました。当時はもう、コピーを書かないで喋ってたもん。デザイナーの葛西薫さんが横にいて、「これで組んで!」とか言ってね。

―齋藤
口述筆記だったんですね(笑)

ー仲畑さんが担当しなくなってから、しばらく間をおいてウイスキーの消費のダウントレンドが20年以上続いて、その後「ハイボール」で盛り上がっているのをご覧になって、どう思われていましたか?

―仲畑さん
きっかけっていうのは、昔の文脈じゃなくて、違う形で来るんだなと思ったね。俺の先輩の開高健さんの頃から、レトリックを駆使してウイスキーに文化を塗って塗って塗り込めていた時代があって。それがある程度いって衰退したときに、全く違う文脈で行かないとダメなんだと思った。それを大島さんが見事にやってのけたのは、素晴らしいなと感じたね。

―齋藤
でも、うまくいかない時に違う文脈で当ててみても、的外れなこともありますよね。

―仲畑さん
成功してから「わかっていた」とか言う話をされることがあるけど、実際のところは、やってみないと誰もわからない。でも、古い文脈でやり続けていても、受け手である生活者の方に鍵穴がないから、いくら鍵を持って行っても開かないんだよね。生活者の心の中の欲求が違うものになっているのに、昔の文脈で開こうとしてもダメなんだな。

―齋藤
時代とともに、鍵穴も変わるということですね。仲畑さんが伝える文脈を選ぶときには、どういうプロセスで思考するのでしょうか。

―仲畑さん
広告には商品という出発点があって、商品には訴求ポイントがある。そして、幸いにもターゲットがいる。ターゲットに何を受け取ってもらえるか。突き詰めるとそれだけのことなんだよな。それで俺の場合、オリエンテーションでお題を聞いた時に、コピーが次々に浮かんでくる。その場でいくつかをクライアントに投げてみて、これはOKなんだ、これはNGなんだという形でストライクゾーンを定めていく。基本的にはこの流れだね。

 

―齋藤
でも、うまくいかない時に違う文脈で当ててみても、的外れなこともありますよね。

―仲畑さん
成功してから「わかっていた」とか言う話をされることがあるけど、実際のところは、やってみないと誰もわからない。でも、古い文脈でやり続けていても、受け手である生活者の方に鍵穴がないから、いくら鍵を持って行っても開かないんだよね。生活者の心の中の欲求が違うものになっているのに、昔の文脈で開こうとしてもダメなんだな。

―齋藤
時代とともに、鍵穴も変わるということですね。仲畑さんが伝える文脈を選ぶときには、どういうプロセスで思考するのでしょうか。

―仲畑さん
広告には商品という出発点があって、商品には訴求ポイントがある。そして、幸いにもターゲットがいる。ターゲットに何を受け取ってもらえるか。突き詰めるとそれだけのことなんだよな。それで俺の場合、オリエンテーションでお題を聞いた時に、コピーが次々に浮かんでくる。その場でいくつかをクライアントに投げてみて、これはOKなんだ、これはNGなんだという形でストライクゾーンを定めていく。基本的にはこの流れだね。

 

ー齋藤
大島さんもストライクゾーンを見定めるのは本当に速かったです。

ー仲畑
大島さんも同じことやってたんだと思うよ。さっき「流儀が違う」っていう話をしたけど、その部分は共通していると思う。オリエンでプレゼンしちゃうんだよ。

―齋藤
ターゲットのことを想像して、どうやってコピーを考えるのか教えてください。

―仲畑さん
いろんな手段があると思う。アプローチを決めるのは、態度を決めること。態度を決めるのは、コピーで言うと語尾を選ぶことなんだよ。実は、人って大部分、態度で好き嫌いを決めている。語尾が「〜ですよ」なのか「〜なのだ」なのか「〜かしら」なのか「〜かもね」なのか。語尾がコピーの態度を決めるから、方法を考えることというのは、語尾を選んで態度を決めることと一緒だと思う。飲みの場での会話と一緒で、人は語尾とか態度からニュアンスを嗅ぎ取るっていうことだね。

ー齋藤
大島さんもストライクゾーンを見定めるのは本当に速かったです。

ー仲畑
大島さんも同じことやってたんだと思うよ。さっき「流儀が違う」っていう話をしたけど、その部分は共通していると思う。オリエンでプレゼンしちゃうんだよ。

―齋藤
ターゲットのことを想像して、どうやってコピーを考えるのか教えてください。

―仲畑さん
いろんな手段があると思う。アプローチを決めるのは、態度を決めること。態度を決めるのは、コピーで言うと語尾を選ぶことなんだよ。実は、人って大部分、態度で好き嫌いを決めている。語尾が「〜ですよ」なのか「〜なのだ」なのか「〜かしら」なのか「〜かもね」なのか。語尾がコピーの態度を決めるから、方法を考えることというのは、語尾を選んで態度を決めることと一緒だと思う。飲みの場での会話と一緒で、人は語尾とか態度からニュアンスを嗅ぎ取るっていうことだね。

▲ 仲畑さんによる大島への弔辞。TCC年鑑(2025)にて。

―最後に、大島さんに今、何か伝えたいことや、話しておけばよかったなと思うことはありますか?

―仲畑さん
言いたいことは全部言い尽くしてるし、もうないかな。
でも、もうちょっと遊びたかったね。

―これからのdofにも一言いただけますでしょうか。

―仲畑さん
今のままでいいんじゃない?と思うよ。大島さんと飲む時も、太郎の話をしていたんだけど、ちゃんと理念があっていいなと思う。それを大島さんに言ったら「太郎が聞いたら喜ぶよ!」って言ってたよ。

―最後に、大島さんに今、何か伝えたいことや、話しておけばよかったなと思うことはありますか?

―仲畑さん
言いたいことは全部言い尽くしてるし、もうないかな。
でも、もうちょっと遊びたかったね。

―これからのdofにも一言いただけますでしょうか。

―仲畑さん
今のままでいいんじゃない?と思うよ。大島さんと飲む時も、太郎の話をしていたんだけど、ちゃんと理念があっていいなと思う。それを大島さんに言ったら「太郎が聞いたら喜ぶよ!」って言ってたよ。

RECOMMENDATION

2025.03.26
ソラコム社、スイングバイIPO
一度限りの上場広告に
どう熱量を込めるか?
志の共鳴が生んだ
クリエイティブ誕生秘話
ソラコム社、スイングバイIPO
一度限りの上場広告に
どう熱量を込めるか?
志の共鳴が生んだ
クリエイティブ誕生秘話
KDDI傘下でIoT向けプラットフォームを提供する株式会社ソラコムが、2024年3月に東証グロース市場に上場。晴れの舞台を”なんとかする”ため、ソラコム玉川社長の志に共鳴するメンバーが集結しました。ソラコム玉川社長、dofの齋藤太郎(クリエ…
KDDI傘下でIoT向けプラットフォームを提供する株式会社ソラコムが、2024年3月に東証グロース市場に上場。晴れの舞台を”なんとかする”ため、ソラコム玉川社長の志に共鳴するメンバーが集結しました。ソラコム玉川社長、dofの齋藤太郎(クリエ…

check this talk

2025.03.10
小田桐昭さん・橘益夫さん弔辞全文公開
小田桐昭さん・橘益夫さん弔辞全文公開
7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫について、生前大島と親しかった方々から印象に残るエピソードやみなさんから見た「大島征夫」を伺う”Memorial dof talk”。その第二弾では二人の「同志」であり、大島…
7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫について、生前大島と親しかった方々から印象に残るエピソードやみなさんから見た「大島征夫」を伺う”Memorial dof talk”。その第二弾では二人の「同志」であり、大島…

check this talk

2025.03.10
Memorial dof talk Vol.2<後編> 
弔辞を読んだ同志が語る、大島征夫。
Memorial dof talk Vol.2<後編> 
弔辞を読んだ同志が語る、大島征夫。
7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の不世出のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくために。”Memorial dof talk”と題した本企画では、生前大島と親しかった方々から、印象に残るエ…
7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の不世出のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくために。”Memorial dof talk”と題した本企画では、生前大島と親しかった方々から、印象に残るエ…

check this talk

2025.03.10
Memorial dof talk Vol.2<前編> 
弔辞を読んだ同志が語る、大島征夫。
Memorial dof talk Vol.2<前編> 
弔辞を読んだ同志が語る、大島征夫。
7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の不世出のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくために。”Memorial dof talk”と題した本企画では、生前大島と親しかった方々から、印象に残るエ…
7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の不世出のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくために。”Memorial dof talk”と題した本企画では、生前大島と親しかった方々から、印象に残るエ…

check this talk