Memorial dof talk Vol.1 <後編>
角・トリスチームと語る、大島征夫。
Memorial dof talk Vol.1 <後編>
角・トリスチームと語る、大島征夫。
2024年7月7日。七夕の朝に亡くなったdof会長/クリエイティブディレクターの大島征夫。その唯一無二のキャラクターや考え方をすこしでも世の中に遺しておくために。そして、この記事を読んでいただいたみなさんと、大島がいた日々を「楽しかったね」といつでも振り返れるように。dof talkで、大島と親しかった方々と共に、大島の足跡を振り返る連載企画をはじめました。初回のトークゲストは、大島のライフワークでもあったサントリー「角」と「トリス」のクリエイティブチームのみなさん。
後編では、大島の仕事の哲学を深掘ると共に、大島が亡くなる直前の数日の出来事に迫ります。どふぞご覧ください。
2024年7月7日。七夕の朝に亡くなったdof会長/クリエイティブディレクターの大島征夫。その唯一無二のキャラクターや考え方をすこしでも世の中に遺しておくために。そして、この記事を読んでいただいたみなさんと、大島がいた日々を「楽しかったね」といつでも振り返れるように。dof talkで、大島と親しかった方々と共に、大島の足跡を振り返る連載企画をはじめました。初回のトークゲストは、大島のライフワークでもあったサントリー「角」と「トリス」のクリエイティブチームのみなさん。
後編では、大島の仕事の哲学を深掘ると共に、大島が亡くなる直前の数日の出来事に迫ります。どふぞご覧ください。
クリエイティブディレクターをつくった男。
クリエイティブディレクターをつくった男。
ー有元さん
先日の葬儀で小田桐昭さん(※元電通クリエーティブ・ディレクターで大島が尊敬する先輩。現・小田桐昭事務所代表/オグルヴィ・アンド・メイザージャパン名誉会長)の弔辞をお聞きして、クリエイティブディレクターという文化をつくったのが大島さんということに、すごく驚きました。
ー有元さん
先日の葬儀で小田桐昭さん(※元電通クリエーティブ・ディレクターで大島が尊敬する先輩。現・小田桐昭事務所代表/オグルヴィ・アンド・メイザージャパン名誉会長)の弔辞をお聞きして、クリエイティブディレクターという文化をつくったのが大島さんということに、すごく驚きました。
ー松本さん
小田桐さんと大島さん。このお二人が日本でクリエイティブディレクターという存在を確立したように思いますね。側で拝見していて、大島さんはアメリカのDDBなどのクリエイティブやそのシステムをすごく勉強されていました。80年代後半から90年代初頭までずっと秋山晶さん(※ライトパブリシティ代表取締役CEO / コピーライター)とお仕事をしていたから、その影響もあったのかもしれません。ニューヨークADC賞も注視しておられました。そうした海外のクリエイティブの潮流をアレンジして、日本流のクリエイティブディレクター像というものをつくったのでしょう。小田桐さんや大島さん以前の時代は映像のディレクターが企画コンテを考えて、クリエイティブを主導していました。広告会社のクリエイターが主導権を握ることはあまりなかったんです。そこをひっくり返そうとしたのが小田桐さんと大島さんでした。
ー松本さん
小田桐さんと大島さん。このお二人が日本でクリエイティブディレクターという存在を確立したように思いますね。側で拝見していて、大島さんはアメリカのDDBなどのクリエイティブやそのシステムをすごく勉強されていました。80年代後半から90年代初頭までずっと秋山晶さん(※ライトパブリシティ代表取締役CEO / コピーライター)とお仕事をしていたから、その影響もあったのかもしれません。ニューヨークADC賞も注視しておられました。そうした海外のクリエイティブの潮流をアレンジして、日本流のクリエイティブディレクター像というものをつくったのでしょう。小田桐さんや大島さん以前の時代は映像のディレクターが企画コンテを考えて、クリエイティブを主導していました。広告会社のクリエイターが主導権を握ることはあまりなかったんです。そこをひっくり返そうとしたのが小田桐さんと大島さんでした。
ー大豆生田さん
小田桐さんが最初に日本流のクリエイティブディレクターの考えを提唱して、大島さんがいっしょになって研究会をはじめたんですよね。大島さんは影響力も大きい人だったから、その波が大きく広がっていったんじゃないでしょうか。
ー齋藤
そういえば、大島さんの昔の手帳を見ると、英語を勉強していた跡もあったんですよ。大島さんの目線はいち早く海外へ向いていたということなのかもしれません。
ー松本さん
他にも、プロダクションの面々がオリエンに同席するという仕事のスタイルも大島さんならではのものです。
ー大豆生田さん
小田桐さんが最初に日本流のクリエイティブディレクターの考えを提唱して、大島さんがいっしょになって研究会をはじめたんですよね。大島さんは影響力も大きい人だったから、その波が大きく広がっていったんじゃないでしょうか。
ー齋藤
そういえば、大島さんの昔の手帳を見ると、英語を勉強していた跡もあったんですよ。大島さんの目線はいち早く海外へ向いていたということなのかもしれません。
ー松本さん
他にも、プロダクションの面々がオリエンに同席するという仕事のスタイルも大島さんならではのものです。
ー川名
プレゼンに同席というのはあっても、オリエンまで同席するというのはけっこう珍しいですよね。
ー松本さん
このやり方はすごく合理的だと思います。最終的には、プロダクションのメンバーも話を聞くわけだから、一緒に聞いてしまった方が早いので。
ー齋藤
“ワンチーム”をつくろうとする意識がありましたよね。
ー川名
プレゼンに同席というのはあっても、オリエンまで同席するというのはけっこう珍しいですよね。
ー松本さん
このやり方はすごく合理的だと思います。最終的には、プロダクションのメンバーも話を聞くわけだから、一緒に聞いてしまった方が早いので。
ー齋藤
“ワンチーム”をつくろうとする意識がありましたよね。
ー大豆生田さん
ワンチームといえば、大島さんはクライアントのみなさんとの関係のつくり方もワンチームを大事にされていました。偉い方がまとめたオリエンを聞いて、偉い方に密室でプレゼンして決めて、というトップダウンで落とすやり方は好まなかった。クライアントの方も役職がある偉い方だけでなく、現場の若い方まで気持ちを汲んで、巻き込んで。そういう過程のあり方を大切にされていましたね。
ー齋藤
“みんなで”勝ちたいんですよね。みんなが一つになるのが重要だと。あとウイスキーについては圧倒的に“愛”ですね。あれはもう仕事とかではなく、趣味を超えた「生きがい」の領域でしたね。
ー大豆生田さん
サントリーの蒸留所の方なんて、大島さんを見ただけで、本当にうれしそうな、幸せそうな顔をするんです。あの顔は忘れられません。
ー大豆生田さん
ワンチームといえば、大島さんはクライアントのみなさんとの関係のつくり方もワンチームを大事にされていました。偉い方がまとめたオリエンを聞いて、偉い方に密室でプレゼンして決めて、というトップダウンで落とすやり方は好まなかった。クライアントの方も役職がある偉い方だけでなく、現場の若い方まで気持ちを汲んで、巻き込んで。そういう過程のあり方を大切にされていましたね。
ー齋藤
“みんなで”勝ちたいんですよね。みんなが一つになるのが重要だと。あとウイスキーについては圧倒的に“愛”ですね。あれはもう仕事とかではなく、趣味を超えた「生きがい」の領域でしたね。
ー大豆生田さん
サントリーの蒸留所の方なんて、大島さんを見ただけで、本当にうれしそうな、幸せそうな顔をするんです。あの顔は忘れられません。
▲ 毎年恒例のクライアントさんやパートナーをお招きしての「dofの大望年会」今年も実施予定です!
▲ 毎年恒例のクライアントさんやパートナーをお招きしての「dofの大望年会」今年も実施予定です!
最後の最後のその日まで、
生涯現役。
最後の最後のその日まで、
生涯現役。
ー川名
大島さんは亡くなる直前まで仕事をされていました。みなさんが最後に大島さんから受け継いだものはなんですか?
ー岩田さん
打ち合わせでdofに行った時に、太郎さんから神妙な面持ちで「話がある」って言われて。太郎さんが神妙な面持ちになるなんてことないから、なんだろうと思って行ったら大島さんから、「あまり時間がない。俺が言いたいことを全部話すから、口述筆記をやってくれないか」と頼まれて。それで口述筆記をやりました。みんなのスケジュールがあわなくて2週間くらい先になりそうと言ったら「そんな時間ないぞ」と大島さんから言われて。
ー川名
大島さんは亡くなる直前まで仕事をされていました。みなさんが最後に大島さんから受け継いだものはなんですか?
ー岩田さん
打ち合わせでdofに行った時に、太郎さんから神妙な面持ちで「話がある」って言われて。太郎さんが神妙な面持ちになるなんてことないから、なんだろうと思って行ったら大島さんから、「あまり時間がない。俺が言いたいことを全部話すから、口述筆記をやってくれないか」と頼まれて。それで口述筆記をやりました。みんなのスケジュールがあわなくて2週間くらい先になりそうと言ったら「そんな時間ないぞ」と大島さんから言われて。
ー岩田さん
それで大島さんのご自宅でお話を聞きながら1章から5章まで書いたんです。サントリーの方もたくさんいらっしゃっていて。そうして4章くらいまで書き進めたら大島さんも疲れてきちゃって、途中からは「言わなくても大体分かるだろ、な?」って言われたりしながら書いていきましたね。まあ、本当に言いたいことはちゃんと伝わっていたので、書けたのですが。
ー齋藤
あれは、岩田さんじゃなきゃできなかった。
ー川名
大島さんが亡くなる前、大島さんの家に毎日のように人が集まって、大島さんを囲んで話を聞いていたんですが、「お前らしんみりするな!」って怒ったりしていて。「ちょっとでも飲もうかな」と言ったり。最後まで人に気を遣っていました。
ー齋藤
「泣いた奴は出禁な!」って言ってたよね(笑)
ー岩田さん
それで大島さんのご自宅でお話を聞きながら1章から5章まで書いたんです。サントリーの方もたくさんいらっしゃっていて。そうして4章くらいまで書き進めたら大島さんも疲れてきちゃって、途中からは「言わなくても大体分かるだろ、な?」って言われたりしながら書いていきましたね。まあ、本当に言いたいことはちゃんと伝わっていたので、書けたのですが。
ー齋藤
あれは、岩田さんじゃなきゃできなかった。
ー川名
大島さんが亡くなる前、大島さんの家に毎日のように人が集まって、大島さんを囲んで話を聞いていたんですが、「お前らしんみりするな!」って怒ったりしていて。「ちょっとでも飲もうかな」と言ったり。最後まで人に気を遣っていました。
ー齋藤
「泣いた奴は出禁な!」って言ってたよね(笑)
ー窪本さん
ぼくは、大島さんが亡くなる前、とあるクリエイティブのプレゼン準備をしていて、提案まで時間がない案件だったんですけど。大島さんに「これはVコンつくるか!」と言われて、「はい」と言っちゃって(笑)。時間がない中でどうしよう…と。それで結局やりきったんだけど、その作業がすごい楽しかった。楽しんでつくったVコンを大島さんに見せたら、「うん、こういうことだな!安心した!」って大島さんに言われて。その「安心した」という言葉が胸にくるものがありました。
ー松本さん
そのプレゼンが、結局大島さんの出棺の時間と同じ時間のプレゼンだったんですよね。
ー有元さん
そう。それでプレゼンの時に、窪本さんが真ん中の席を一席あけたりするから…。あれはずるい。
ー窪本さん
そんな大げさにやったつもりはないんだけど、「大島さんと一緒にプレゼンします」って言ってね。
ー有元さん
けど、その空いている席に岩田さんが座ろうとして。
ー岩田さん
だって、一席空いてたから。なんで空いてるんだろうと思って。
ー齋藤
大島さんもあっちで笑って見てただろうね(笑)。
ー一同
笑
ー窪本さん
ぼくは、大島さんが亡くなる前、とあるクリエイティブのプレゼン準備をしていて、提案まで時間がない案件だったんですけど。大島さんに「これはVコンつくるか!」と言われて、「はい」と言っちゃって(笑)。時間がない中でどうしよう…と。それで結局やりきったんだけど、その作業がすごい楽しかった。楽しんでつくったVコンを大島さんに見せたら、「うん、こういうことだな!安心した!」って大島さんに言われて。その「安心した」という言葉が胸にくるものがありました。
ー松本さん
そのプレゼンが、結局大島さんの出棺の時間と同じ時間のプレゼンだったんですよね。
ー有元さん
そう。それでプレゼンの時に、窪本さんが真ん中の席を一席あけたりするから…。あれはずるい。
ー窪本さん
そんな大げさにやったつもりはないんだけど、「大島さんと一緒にプレゼンします」って言ってね。
ー有元さん
けど、その空いている席に岩田さんが座ろうとして。
ー岩田さん
だって、一席空いてたから。なんで空いてるんだろうと思って。
ー齋藤
大島さんもあっちで笑って見てただろうね(笑)。
ー一同
笑
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大島との思い出をみなさんと共に語りあう、メモリアルdof talk。第一弾はいかがでしたか?
この企画は、みなさんと大島との思い出が尽きるまで続けていくつもりです。
ぜひみなさん、ウイスキー片手に、気を長くしてお付き合いください。
それでは、笑顔で。献杯!
●構成・文:野崎 愉宇(dof)
●撮影:宇佐見 彰太(dof)
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大島との思い出をみなさんと共に語りあう、メモリアルdof talk。第一弾はいかがでしたか?
この企画は、みなさんと大島との思い出が尽きるまで続けていくつもりです。
ぜひみなさん、ウイスキー片手に、気を長くしてお付き合いください。
それでは、笑顔で。献杯!
●構成・文:野崎 愉宇(dof)
●撮影:宇佐見 彰太(dof)
企業のブランドづくりへ。
“遺る”文化と価値をつくり続ける。
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“遺る”文化と価値をつくり続ける。
大学卒業後、ファーストキャリアは総合商社。その後、MBAを取得し、スタートアップの取締役CFOを務めたのち、dofに参画するという異色の経歴の持ち主。そんな宇佐見が前職で深いつな…
大学卒業後、ファーストキャリアは総合商社。その後、MBAを取得し、スタートアップの取締役CFOを務めたのち、dofに参画するという異色の経歴の持ち主。そんな宇佐見が前職で深いつな…
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角・トリスチームと語る、大島征夫。
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新たなマスメディアづくりへの挑戦。
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電通時代にクリエイティブ・ディレクターと営業として一緒に仕事をしていた関係であり、創業者の2人でもある大島征夫と齋藤太郎。
記念すべき今回は、創業者の…
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