2024.09.13

Memorial dof talk Vol.1 <前編>
角・トリスチームと語る、大島征夫。

Memorial dof talk Vol.1 <前編>
角・トリスチームと語る、大島征夫。

2024年7月7日。七夕の朝に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。その唯一無二のキャラクターや考え方をすこしでも世の中に遺しておくために。そして、この記事を読んでいただいたみなさんと、大島がいた日々を「楽しかったね」といつでも振り返れるように。dof talkで、大島と親しかった方々と共に、大島の足跡を振り返る連載企画をはじめます。初回のトークゲストは、大島のライフワークでもあったサントリー「角」と「トリス」のクリエイティブチームのみなさん。
笑いあり、涙ありの座談会の中で、果たしてどんなエピソードが飛び出すのか。前後編、まとめてどふぞ。

2024年7月7日。七夕の朝に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。その唯一無二のキャラクターや考え方をすこしでも世の中に遺しておくために。そして、この記事を読んでいただいたみなさんと、大島がいた日々を「楽しかったね」といつでも振り返れるように。dof talkで、大島と親しかった方々と共に、大島の足跡を振り返る連載企画をはじめます。初回のトークゲストは、大島のライフワークでもあったサントリー「角」と「トリス」のクリエイティブチームのみなさん。
笑いあり、涙ありの座談会の中で、果たしてどんなエピソードが飛び出すのか。前後編、まとめてどふぞ。

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「新オヤジ」たちに賭けた、
角ハイボール誕生の舞台裏。

「新オヤジ」たちに賭けた、
角ハイボール誕生の舞台裏。

ー川名
みなさんは大島さんと長年サントリーさんの角やトリスのお仕事をされてきました。角ブランドの転換点となったハイボール立ち上げのタイミングでは、大島さんからみなさんに向けて、どんなディレクションがあったんですか?

ー窪本さん
最初は「『新オヤジ』にするぞ」って。その一言でしたね。

ー齋藤
そうそう。それまでの角のターゲットをソーダ割で一気に若返らせよう、ってなって。それまでメインターゲットだった中高年のシニア世代を、30代半ばの世代に変えて、「新オヤジ」と名付けました。「オヤジ」というには少し早い、若い。かと言ってもう「若者」でもない。会社に入って、仕事を少しづつ覚えて、後輩や部下も出来てきて、仕事の面白さもわかってきて。少しづつオトナの世界に足を踏み入れていく年代を指して「新オヤジ」と呼ぶことにしました。大島さんに「お前たちがターゲットだ!」って言われてね。「太郎や、窪本や(田中)UFOの世代がターゲットなんだから、お前らいっしょに飲みに行って来い!」と。「飲んで自分たちがウイスキーのソーダ割=ハイボールを飲みたくなる企画を考えろ」って。

ー川名
みなさんは大島さんと長年サントリーさんの角やトリスのお仕事をされてきました。角ブランドの転換点となったハイボール立ち上げのタイミングでは、大島さんからみなさんに向けて、どんなディレクションがあったんですか?

ー窪本さん
最初は「『新オヤジ』にするぞ」って。その一言でしたね。

ー齋藤
そうそう。それまでの角のターゲットをソーダ割で一気に若返らせよう、ってなって。それまでメインターゲットだった中高年のシニア世代を、30代半ばの世代に変えて、「新オヤジ」と名付けました。「オヤジ」というには少し早い、若い。かと言ってもう「若者」でもない。会社に入って、仕事を少しづつ覚えて、後輩や部下も出来てきて、仕事の面白さもわかってきて。少しづつオトナの世界に足を踏み入れていく年代を指して「新オヤジ」と呼ぶことにしました。大島さんに「お前たちがターゲットだ!」って言われてね。「太郎や、窪本や(田中)UFOの世代がターゲットなんだから、お前らいっしょに飲みに行って来い!」と。「飲んで自分たちがウイスキーのソーダ割=ハイボールを飲みたくなる企画を考えろ」って。

ー窪本さん
それで行ったよね、コリドー街。思えばあれは、「街とか店とか、ちゃんと現場の空気を分かっとけよ」というディレクションだったんだろうなぁ。

ー齋藤
その時、飲みに行った経験から、小雪さんのお店に、「新オヤジ」達がお客さまとして来るフレームができて、『夜は、ハイボールからはじまる。』のコピーができて、企画が固まっていきましたね。思えば、ぼくら新オヤジ世代の発想や経験に賭けてくれていたのかもしれません。そういう若い世代の抜擢やモチベーションを引き出すことがとても上手な方でしたから。

ー窪本さん
立ち上げのタイミングでは、色んな企画を考えました。当初はディズニーのハイホーのリズムにあわせて「ハイボール♪ハイボール♪」って歌う企画なんかも考えたりしました(笑)結果的にマドンナのいるお店に新オヤジたちが来店する今も続くフレームが固まり、『ハイボールはじめました。』という言葉を中心とした企画でスタートすることになりました。

ー窪本さん
それで行ったよね、コリドー街。思えばあれは、「街とか店とか、ちゃんと現場の空気を分かっとけよ」というディレクションだったんだろうなぁ。

ー齋藤
その時、飲みに行った経験から、小雪さんのお店に、「新オヤジ」達がお客さまとして来るフレームができて、『夜は、ハイボールからはじまる。』のコピーができて、企画が固まっていきましたね。思えば、ぼくら新オヤジ世代の発想や経験に賭けてくれていたのかもしれません。そういう若い世代の抜擢やモチベーションを引き出すことがとても上手な方でしたから。

ー窪本さん
立ち上げのタイミングでは、色んな企画を考えました。当初はディズニーのハイホーのリズムにあわせて「ハイボール♪ハイボール♪」って歌う企画なんかも考えたりしました(笑)結果的にマドンナのいるお店に新オヤジたちが来店する今も続くフレームが固まり、『ハイボールはじめました。』という言葉を中心とした企画でスタートすることになりました。

ー田中さん
ぼくはADとして角ハイボール立ち上げのタイミングでチームに入ったんですが、実はこの仕事、最初は広告がなくて店頭のグラフィックだけだったんです。だけど、当時は店頭だけという情報が大島さんや太郎のところでシャットアウトされていて(笑)。ぼくのところにおりてきていなかった。それで大島さんから「看板みたいなレイアウトをつくってほしい」というディレクションがあったんだけど、「この人、なんでこんな変なこと言うのかな?」と思いながら、黄色の看板のデザインをつくったのを覚えています。

ー大豆生田さん
そしたら、そのデザインが見事にハマって。大島さんも「これだよ!」って絶賛していましたよね。

ー齋藤
結果、キャンペーンとしても大成功でした。

ー田中さん
ぼくはADとして角ハイボール立ち上げのタイミングでチームに入ったんですが、実はこの仕事、最初は広告がなくて店頭のグラフィックだけだったんです。だけど、当時は店頭だけという情報が大島さんや太郎のところでシャットアウトされていて(笑)。ぼくのところにおりてきていなかった。それで大島さんから「看板みたいなレイアウトをつくってほしい」というディレクションがあったんだけど、「この人、なんでこんな変なこと言うのかな?」と思いながら、黄色の看板のデザインをつくったのを覚えています。

ー大豆生田さん
そしたら、そのデザインが見事にハマって。大島さんも「これだよ!」って絶賛していましたよね。

ー齋藤
結果、キャンペーンとしても大成功でした。

ー田中さん
大島さんって、最初になにか言い出した時にはなにを言っているか分からないことも多いんだけど、後で必ず当たるんです。だから最初は「ん?」と分からない顔をしてしまったとしても、とりあえずやってみるって決めていました。

ー川名
側で見ていて、大島さんは「この人に褒められたい、認められたい」という気持ちにさせてしまう人だったように思います。だから大島さんに屈託のない目で「な!」って言われると、なぜか「やらなきゃ!」って気持ちになっちゃいますよね。

ー田中さん
うん、そういう不思議な力がある人でしたね。だからぼくは大島さんとの打ち合わせの時には、できるだけ大島さんの目を見ないようにしていました。目を見ると、やらなきゃいけなくなっちゃうから(笑)。

ー田中さん
大島さんって、最初になにか言い出した時にはなにを言っているか分からないことも多いんだけど、後で必ず当たるんです。だから最初は「ん?」と分からない顔をしてしまったとしても、とりあえずやってみるって決めていました。

ー川名
側で見ていて、大島さんは「この人に褒められたい、認められたい」という気持ちにさせてしまう人だったように思います。だから大島さんに屈託のない目で「な!」って言われると、なぜか「やらなきゃ!」って気持ちになっちゃいますよね。

ー田中さん
うん、そういう不思議な力がある人でしたね。だからぼくは大島さんとの打ち合わせの時には、できるだけ大島さんの目を見ないようにしていました。目を見ると、やらなきゃいけなくなっちゃうから(笑)。

厳しさと、人情と。
人間、大島征夫。

厳しさと、人情と。
人間、大島征夫。

ー川名
岩田さんは、どんな大島さんとの出会いでしたか?

ー岩田さん
ぼくは、角が大島さんとのはじめてのお仕事でした。当初、角の案件は電通の社内競合になっていて、その3回目の打ち合わせの時のことが印象に残っています。その打ち合わせに向けて、とあるコピーを書いたのですが、チームの中での評価はいまひとつだったんです。それでもぼくはそのコピーに自信があったので、大島さんとの打ち合わせに無理やり持っていってもらったら、大島さんが「いいねー!」と、そのコピーを救い上げてくれて。そのコピーが『わたしは氷、あなたはウイスキー。』というものだったのですが。

ー川名
岩田さんは、どんな大島さんとの出会いでしたか?

ー岩田さん
ぼくは、角が大島さんとのはじめてのお仕事でした。当初、角の案件は電通の社内競合になっていて、その3回目の打ち合わせの時のことが印象に残っています。その打ち合わせに向けて、とあるコピーを書いたのですが、チームの中での評価はいまひとつだったんです。それでもぼくはそのコピーに自信があったので、大島さんとの打ち合わせに無理やり持っていってもらったら、大島さんが「いいねー!」と、そのコピーを救い上げてくれて。そのコピーが『わたしは氷、あなたはウイスキー。』というものだったのですが。

ー齋藤
「このコピー、色っぽいねー」って言ってたよね。実際、世の中に強いインパクトを残したコピーでした。

ー川名
有元さんは、大島さんとはどんな出会いでしたか?

ー有元さん
私は当時のメンターが岩田さんだったので、窪本さんたち“新オヤジチーム”でプレゼンするとなった後にチームに入って。それで打ち合わせでdofへ行った時に、はじめて大島さんにお会いしました。厳しい人と聞いていたけど、私にとってはずっと優しい方でした。

ー岩田さん
ボクも優しい印象がありますよ、打ち合わせの場は緊張感がありましたが。

ー大豆生田さん
クリエイターの人たちに対して怒ってるのはそんなに見たことがないですね。プロデューサー陣には厳しかったですが(笑)。

 

 

ー齋藤
「このコピー、色っぽいねー」って言ってたよね。実際、世の中に強いインパクトを残したコピーでした。

ー川名
有元さんは、大島さんとはどんな出会いでしたか?

ー有元さん
私は当時のメンターが岩田さんだったので、窪本さんたち“新オヤジチーム”でプレゼンするとなった後にチームに入って。それで打ち合わせでdofへ行った時に、はじめて大島さんにお会いしました。厳しい人と聞いていたけど、私にとってはずっと優しい方でした。

ー岩田さん
ボクも優しい印象がありますよ、打ち合わせの場は緊張感がありましたが。

ー大豆生田さん
クリエイターの人たちに対して怒ってるのはそんなに見たことがないですね。プロデューサー陣には厳しかったですが(笑)。

 

 

ー川名さん
それでは、”大島さんの避雷針”と呼ばれたプロデューサーのお二人にも、大島さんとの出会いをお聞きしたいと思います。

ー松本さん
ぼくは大島さんとはかなり古くて、1988年のAGFさんのマキシムのお仕事が最初でした。当時、大島さんはアイビールックの紺のブレザーを着ていらっしゃって。かっこよかったですね。それからしばらく経ってJR東日本さんの『その先の日本へ。』のお仕事でご一緒して。撮影現場にはサングラス姿で来られて。怖かったけど、それもとてもかっこよかった。その頃は顔は覚えてもらっているけど名前はまだ知られていないという感じだったかなぁ。そのあとサンアドに入って、2010年くらいに居酒屋で大島さんと飲んでる時に、ふと「お前のところ頑張っているなぁ!」と褒めてくださって、お仕事をするようになった。あれは嬉しかったですね。

ー川名さん
それでは、”大島さんの避雷針”と呼ばれたプロデューサーのお二人にも、大島さんとの出会いをお聞きしたいと思います。

ー松本さん
ぼくは大島さんとはかなり古くて、1988年のAGFさんのマキシムのお仕事が最初でした。当時、大島さんはアイビールックの紺のブレザーを着ていらっしゃって。かっこよかったですね。それからしばらく経ってJR東日本さんの『その先の日本へ。』のお仕事でご一緒して。撮影現場にはサングラス姿で来られて。怖かったけど、それもとてもかっこよかった。その頃は顔は覚えてもらっているけど名前はまだ知られていないという感じだったかなぁ。そのあとサンアドに入って、2010年くらいに居酒屋で大島さんと飲んでる時に、ふと「お前のところ頑張っているなぁ!」と褒めてくださって、お仕事をするようになった。あれは嬉しかったですね。

大豆生田さん
ぼくは東北新社でPMをやっていた時代に「サントリーさんの案件をやりたい」と手を挙げて大島さんがクリエイティブディレクターをやっていた角瓶の案件に入りました。それで打ち合わせに行ったら、大島さんがバーンと机に足を上げてて(笑)。しかも打ち合わせがはじまって3分くらいでもう飽きている感じで(笑)。それで大島さんに「おい!お前、なんかうまいメシ買ってこい」って言われ、先輩の顔を見たら「行け!行け!」と目が物語っていたので、買いに行ったんです。

ー川名
それは怖い(笑)。

ー大豆生田さん
当時打ち合わせをしていたのは電通本社があった聖路加タワーで、2Fにはコンビニがあったんだけど、“うまいメシ”と言われているので違うなと。それでビルを出て周りを走り回って、美味しい卵焼きなんかを買って戻りました。その後打ち合わせが終わり、お昼の時間になって、買ってきた卵焼きなんかを食べながら大島さんが「うまいなぁー!」って。いつものあの感じでとても喜んでいて。「お前よくこんなの見つけてきたな」と大島さんが言うので、「大島さんに試されていると思ったので」と答えたら「正直、試したよ(ニヤッ)」と。それが最初の出会いです。

ー齋藤
大島さん、食にはうるさかったもんね。けどいわゆるグルメとは違って、独自のこだわりがあるタイプで、タコさんウインナーとかが大好きだった(笑)。

ー大豆生田さん
結局、そこに込められた気持ちやこちらの気配りを見ていたんだと思います。ちゃんと考えて用意したものであれば、なんでも「うまいなぁ!」と笑顔で食べてくれた。その後、ぼくをプロデューサーにと推薦してくれたのも大島さんで、情が深い人でした。

大豆生田さん
ぼくは東北新社でPMをやっていた時代に「サントリーさんの案件をやりたい」と手を挙げて大島さんがクリエイティブディレクターをやっていた角瓶の案件に入りました。それで打ち合わせに行ったら、大島さんがバーンと机に足を上げてて(笑)。しかも打ち合わせがはじまって3分くらいでもう飽きている感じで(笑)。それで大島さんに「おい!お前、なんかうまいメシ買ってこい」って言われ、先輩の顔を見たら「行け!行け!」と目が物語っていたので、買いに行ったんです。

ー川名
それは怖い(笑)。

ー大豆生田さん
当時打ち合わせをしていたのは電通本社があった聖路加タワーで、2Fにはコンビニがあったんだけど、“うまいメシ”と言われているので違うなと。それでビルを出て周りを走り回って、美味しい卵焼きなんかを買って戻りました。その後打ち合わせが終わり、お昼の時間になって、買ってきた卵焼きなんかを食べながら大島さんが「うまいなぁー!」って。いつものあの感じでとても喜んでいて。「お前よくこんなの見つけてきたな」と大島さんが言うので、「大島さんに試されていると思ったので」と答えたら「正直、試したよ(ニヤッ)」と。それが最初の出会いです。

ー齋藤
大島さん、食にはうるさかったもんね。けどいわゆるグルメとは違って、独自のこだわりがあるタイプで、タコさんウインナーとかが大好きだった(笑)。

ー大豆生田さん
結局、そこに込められた気持ちやこちらの気配りを見ていたんだと思います。ちゃんと考えて用意したものであれば、なんでも「うまいなぁ!」と笑顔で食べてくれた。その後、ぼくをプロデューサーにと推薦してくれたのも大島さんで、情が深い人でした。

「ハイボールは、流行らせない」
というディレクション。

「ハイボールは、流行らせない」
というディレクション。

ー川名
大島さんのディレクションで、みなさんが印象に残っていることがあれば教えてください。

ー窪本さん
「企画書を書きすぎるな」って言われたなぁ。説明しすぎるなってことだと思うけど、なるべくシンプルにすることを意識していました。

ー川名
大島さんのディレクションで、みなさんが印象に残っていることがあれば教えてください。

ー窪本さん
「企画書を書きすぎるな」って言われたなぁ。説明しすぎるなってことだと思うけど、なるべくシンプルにすることを意識していました。

ー大豆生田さん
角の企画書の前段に「おごらず、焦らず、気持ちよく」としか書かれていないこともあったね。

ー窪本さん
あとは「ハイボールをブームにするな」ということも言われた。

ー有元さん
そう!「ハイボールを流行らせるな」って言い出して。その時若手だったので、「なんだ、このカッコイイこと言うおじさんは!」って思いました。

ー齋藤
一過性のトレンドではなく、普遍的に「遺る価値」をつくるということに意識が向いていた人でした。ハイボールがブームになりかけた時、突然「太郎、上手く行っているうちにこの仕事降りようか」と言い出したこともありました。当時は、「えー!こんなに上手く行ってる時になんてこと言うんだろう!?」って思いましたが、今では大島さんが考えていたことが少しだけ分かる気がします。

ー有元さん
そういう考え方は、広告とブランドの様々な関係を見てきた大島さんだからこその発想なんだと感じました。

ー田中さん
大島さんはクリエイティブの面白い、面白くないという話は、実はそんなにいっぱいしなかった。一方で、事業の話はすごくしていました。「今後の事業をどうしていくか?」っていう視点からの話をたくさんするから、ものすごく勉強になりました。ハイボールで、『氷を入れるだけ。』という大島さんが考えたコピーがあったのですが、事業を考えた時に「世の中がこういう行動になったらいいな」っていうのが大島さんの中にあって、それをクリエイティブで促していくのがすごいと思った。

ー齋藤
シンプルだったよね。てらいがない。それまでのウイスキーはオンザロックがメインの飲み方だったから、音にすると「カラン、トクトクトク」だったんだけど、ハイボールになった時に、これからは「カラン、トクトク、シュワ~なんだよ」って言っていて。

ー大豆生田さん
角の企画書の前段に「おごらず、焦らず、気持ちよく」としか書かれていないこともあったね。

ー窪本さん
あとは「ハイボールをブームにするな」ということも言われた。

ー有元さん
そう!「ハイボールを流行らせるな」って言い出して。その時若手だったので、「なんだ、このカッコイイこと言うおじさんは!」って思いました。

ー齋藤
一過性のトレンドではなく、普遍的に「遺る価値」をつくるということに意識が向いていた人でした。ハイボールがブームになりかけた時、突然「太郎、上手く行っているうちにこの仕事降りようか」と言い出したこともありました。当時は、「えー!こんなに上手く行ってる時になんてこと言うんだろう!?」って思いましたが、今では大島さんが考えていたことが少しだけ分かる気がします。

ー有元さん
そういう考え方は、広告とブランドの様々な関係を見てきた大島さんだからこその発想なんだと感じました。

ー田中さん
大島さんはクリエイティブの面白い、面白くないという話は、実はそんなにいっぱいしなかった。一方で、事業の話はすごくしていました。「今後の事業をどうしていくか?」っていう視点からの話をたくさんするから、ものすごく勉強になりました。ハイボールで、『氷を入れるだけ。』という大島さんが考えたコピーがあったのですが、事業を考えた時に「世の中がこういう行動になったらいいな」っていうのが大島さんの中にあって、それをクリエイティブで促していくのがすごいと思った。

ー齋藤
シンプルだったよね。てらいがない。それまでのウイスキーはオンザロックがメインの飲み方だったから、音にすると「カラン、トクトクトク」だったんだけど、ハイボールになった時に、これからは「カラン、トクトク、シュワ~なんだよ」って言っていて。

ー窪本さん
あぁ、言ってたかもな、それ。

ー岩田さん
あと最初の頃、「ハイボールは、コーラや炭酸飲料のシズルを参考にしろ」と大島さんは言っていましたね。「ハイボールは、今までのウイスキーとは違うんだ」って。それまでのウイスキーのシズルといえば”琥珀色”の表現だったけど、そことは一線を画すシズルを模索していました。
※シズル:食欲や購買欲を刺激するみずみずしさの表現

ー大豆生田さん
「いままでのウイスキーファンからは叩かれるかもしれない。だけどハイボールをやるには割り切りが必要になる」という話もしていましたね。「腹を決められますか?」「耐えられますか?」ということを、サントリーのみなさんとも対話されていたのを覚えています。

ー岩田さん
表現だけじゃないんですよね。CMとして良くてもそれはゴールじゃなくて、そこから先で、人が動くかを判断しているのが大島さんの仕事なんだろうなと。それをやってみたいか、買ってみたいか、飲んでみたいか。そういうところをジャッジしているのが大島さんでした。

ー有元さん
それを感覚的にやっているのが、びっくりします。いま、広告業界もコンサル的な側面が出てきて事業に入っていくケースが増えているけど、データと向き合って頭でっかちにもなりがち。大島さんは誰よりも飲みに行って、経験値と肌感と本能でその判断をしているから、聞いた瞬間「確かに、それは人が動きそう!」と思うことが多かった。

ー田中さん
大島さんは”気分”が強い人だと思うんです。トーン&マナーを見定める目という意味でもそうなんだけど、クリエイティブの良し悪しだけでなく、マーケティングで企業がこうなるといいんじゃないかという時代の気分を読んで、それとくっつけてクリエイティブを考えている。それって当時とても新しいやり方だったと思います。

後編へ続く

ー窪本さん
あぁ、言ってたかもな、それ。

ー岩田さん
あと最初の頃、「ハイボールは、コーラや炭酸飲料のシズルを参考にしろ」と大島さんは言っていましたね。「ハイボールは、今までのウイスキーとは違うんだ」って。それまでのウイスキーのシズルといえば”琥珀色”の表現だったけど、そことは一線を画すシズルを模索していました。
※シズル:食欲や購買欲を刺激するみずみずしさの表現

ー大豆生田さん
「いままでのウイスキーファンからは叩かれるかもしれない。だけどハイボールをやるには割り切りが必要になる」という話もしていましたね。「腹を決められますか?」「耐えられますか?」ということを、サントリーのみなさんとも対話されていたのを覚えています。

ー岩田さん
表現だけじゃないんですよね。CMとして良くてもそれはゴールじゃなくて、そこから先で、人が動くかを判断しているのが大島さんの仕事なんだろうなと。それをやってみたいか、買ってみたいか、飲んでみたいか。そういうところをジャッジしているのが大島さんでした。

ー有元さん
それを感覚的にやっているのが、びっくりします。いま、広告業界もコンサル的な側面が出てきて事業に入っていくケースが増えているけど、データと向き合って頭でっかちにもなりがち。大島さんは誰よりも飲みに行って、経験値と肌感と本能でその判断をしているから、聞いた瞬間「確かに、それは人が動きそう!」と思うことが多かった。

ー田中さん
大島さんは”気分”が強い人だと思うんです。トーン&マナーを見定める目という意味でもそうなんだけど、クリエイティブの良し悪しだけでなく、マーケティングで企業がこうなるといいんじゃないかという時代の気分を読んで、それとくっつけてクリエイティブを考えている。それって当時とても新しいやり方だったと思います。

後編へ続く

●構成・文:野崎 愉宇(dof)
●撮影:宇佐見 彰太(dof)

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●撮影:宇佐見 彰太(dof)

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