新卒入社, 10年勤務したのち独立。
dofの卒業生のその後は?
新卒入社, 10年勤務したのち独立。
dofの卒業生のその後は?
会社にとって、優秀な社員が去ることは戦力のダウンにつながる痛手となります。しかしdofでは、社員が自分の会社を立ち上げたり、独立することを応援しています。さらに社として独立後の支援もしています。それは、dofが優れた人材を輩出する「梁山泊」のような存在になりたい、という思いがあるから。社長である齋藤太郎をそんな気持ちにさせたのが、畑間晶太さん(以下畑間)の存在でした。
大島征夫(現会長)、齋藤太郎、デスクの社員に続く、社員番号4番であり、新卒として入社後10年間、齋藤らとともに走り続け、dof流の仕事のスタイルがマインドにも、カラダにも染みついた人物です。2020年に独立し、〝卒業生第一号〟となった彼は、自分で会社を立ち上げ、プロデューサーとして決して平坦ではない道を歩み始めました。
彼がdofで得たものは何だったのか、そして卒業生一号として今、何を思い、見据えているか。「兄」であり「師」と慕う齋藤太郎との「師弟talk」です。
会社にとって、優秀な社員が去ることは戦力のダウンにつながる痛手となります。しかしdofでは、社員が自分の会社を立ち上げたり、独立することを応援しています。さらに社として独立後の支援もしています。それは、dofが優れた人材を輩出する「梁山泊」のような存在になりたい、という思いがあるから。社長である齋藤太郎をそんな気持ちにさせたのが、畑間晶太さん(以下畑間)の存在でした。
大島征夫(現会長)、齋藤太郎、デスクの社員に続く、社員番号4番であり、新卒として入社後10年間、齋藤らとともに走り続け、dof流の仕事のスタイルがマインドにも、カラダにも染みついた人物です。2020年に独立し、〝卒業生第一号〟となった彼は、自分で会社を立ち上げ、プロデューサーとして決して平坦ではない道を歩み始めました。
彼がdofで得たものは何だったのか、そして卒業生一号として今、何を思い、見据えているか。「兄」であり「師」と慕う齋藤太郎との「師弟talk」です。
「器用さ」と「気が利くこと」を武器に入社
「器用さ」と「気が利くこと」を武器に入社
―齋藤
初めて会ったのは、ニューヨークの美術大学の学生だった頃だよね。
―畑間
そうです。美大では、コミュニケーション・デザイン学部だったのですが、授業に実践を取り入れていて、学生時代からプロジェクトに加わって、カメラマンやスタイリストなどのアシスタント的な仕事を経験したりして、多くのクリエイターたちのプロの仕事に触れることができました。
コミュニケーション・デザインっていうのは、パッケージやウェブ、写真、プロダクトなど、色々なコミュニケーションの能力を養うのが目的で、範囲が広かったんです。だから、最終学年に向けて何を専門にしていくかを考えていました。それで夏休みで帰国したとき、インターン先を見つけようと、コミュニケーション・デザインを手がけている人を探していたら、真っ先に名前が挙がったのが、dofの大島さん(大島征夫)や太郎さん(齋藤太郎)でした。それで連絡をさせてもらったんです。
―齋藤
当時のdofは、今よりも小さな会社で、自分も若かったし、インターンの必要性とかまったく感じてなくて(笑)。それで、株式会社カイブツの木谷友亮さんを紹介したんですよね。
―畑間
木谷さんからは「師」と言えるぐらい、いろんなことを教わりました。ただ、自分はデザインの仕事だけで食っていく自信がどうしても持てなくて、大学4年生のときに改めて太郎さんに会いに行ったんです。
その時自分が悩んでいることを太郎さんに相談してみたら、「そういうことならdofで少しだけアルバイトしてみない?」と言ってくださって。
―齋藤
その頃のdofは、猫の手も借りたいぐらい忙しくなっていたから、いいタイミングで、じゃあ猫になってもらおうと(笑)。
―畑間
お試し期間として、1週間半だけ仕事させていただきました。それこそ朝から晩まで太郎さんにべったりくっついて。カバン持ちみたいな感じで、本当に寝る間もないぐらい忙しかったんですが、とにかく楽しかったのを覚えています。太郎さんやクリエイティブチームの方々も、クライアントさんもみなさん、本当に楽しそうで。本気でいい仕事にしようというエネルギーが伝わってきたんです。それでもうdofしかないと思って、ぜひ入社させてください!とお願いしたら、受け止めてくださったんですよね。
―齋藤
初めて会ったのは、ニューヨークの美術大学の学生だった頃だよね。
―畑間
そうです。美大では、コミュニケーション・デザイン学部だったのですが、授業に実践を取り入れていて、学生時代からプロジェクトに加わって、カメラマンやスタイリストなどのアシスタント的な仕事を経験したりして、多くのクリエイターたちのプロの仕事に触れることができました。
コミュニケーション・デザインっていうのは、パッケージやウェブ、写真、プロダクトなど、色々なコミュニケーションの能力を養うのが目的で、範囲が広かったんです。だから、最終学年に向けて何を専門にしていくかを考えていました。それで夏休みで帰国したとき、インターン先を見つけようと、コミュニケーション・デザインを手がけている人を探していたら、真っ先に名前が挙がったのが、dofの大島さん(大島征夫)や太郎さん(齋藤太郎)でした。それで連絡をさせてもらったんです。
―齋藤
当時のdofは、今よりも小さな会社で、自分も若かったし、インターンの必要性とかまったく感じてなくて(笑)。それで、株式会社カイブツの木谷友亮さんを紹介したんですよね。
―畑間
木谷さんからは「師」と言えるぐらい、いろんなことを教わりました。ただ、自分はデザインの仕事だけで食っていく自信がどうしても持てなくて、大学4年生のときに改めて太郎さんに会いに行ったんです。
その時自分が悩んでいることを太郎さんに相談してみたら、「そういうことならdofで少しだけアルバイトしてみない?」と言ってくださって。
―齋藤
その頃のdofは、猫の手も借りたいぐらい忙しくなっていたから、いいタイミングで、じゃあ猫になってもらおうと(笑)。
―畑間
お試し期間として、1週間半だけ仕事させていただきました。それこそ朝から晩まで太郎さんにべったりくっついて。カバン持ちみたいな感じで、本当に寝る間もないぐらい忙しかったんですが、とにかく楽しかったのを覚えています。太郎さんやクリエイティブチームの方々も、クライアントさんもみなさん、本当に楽しそうで。本気でいい仕事にしようというエネルギーが伝わってきたんです。それでもうdofしかないと思って、ぜひ入社させてください!とお願いしたら、受け止めてくださったんですよね。
▲ dofのハッピー鬼十則の中にもある「憑依」の精神
▲ dofのハッピー鬼十則の中にもある「憑依」の精神
―齋藤
畑間さんは最初に会った時から、「人に愛される力」を持っているなって感じていました。彼がアメリカに戻ってからもときどき電話していたけど、こっちの仕事のことはわかっていなくても、ただ話を聞いてくれて相槌を打ってくれた。それがすごく心の支えになったんです。
―畑間
唯一、「器用さ」と「気が利くこと」でサポートできたのかな思います。それは僕の強みでもあるし、自分の姿勢のようなものでもあって、困っている人がいたら自分の得意分野なんかは抜きにして何でもいいからサポートしなきゃという気持ちがどこかにあります。
―齋藤
その力は圧倒的だと思います。それは相手の立場に立って、「憑依」できているからなんだと思う。たとえると、外科医が手術現場で、メスがほしいと思った次の瞬間には手元にメスが用意されているような感覚。プレゼンに行くときなんかは孤独だし、ちょっとビビっていたり、イラついているときもあるけど、「わかっていますよ、大変ですよね」という感じで声をかけてくれるから、心強い。だから愛されるし、信頼される。その力があるから今も活躍できているんだと思います。
―齋藤
畑間さんは最初に会った時から、「人に愛される力」を持っているなって感じていました。彼がアメリカに戻ってからもときどき電話していたけど、こっちの仕事のことはわかっていなくても、ただ話を聞いてくれて相槌を打ってくれた。それがすごく心の支えになったんです。
―畑間
唯一、「器用さ」と「気が利くこと」でサポートできたのかな思います。それは僕の強みでもあるし、自分の姿勢のようなものでもあって、困っている人がいたら自分の得意分野なんかは抜きにして何でもいいからサポートしなきゃという気持ちがどこかにあります。
―齋藤
その力は圧倒的だと思います。それは相手の立場に立って、「憑依」できているからなんだと思う。たとえると、外科医が手術現場で、メスがほしいと思った次の瞬間には手元にメスが用意されているような感覚。プレゼンに行くときなんかは孤独だし、ちょっとビビっていたり、イラついているときもあるけど、「わかっていますよ、大変ですよね」という感じで声をかけてくれるから、心強い。だから愛されるし、信頼される。その力があるから今も活躍できているんだと思います。
―畑間
極端なことをいえば、それしかできなかったんですが、太郎さんのために役に立つことをしたいと自分なりに考えてましたね。太郎さんが何を考えているかは、太郎さんの奧さん並みに理解していたんじゃないかと思います。
―齋藤
妻よりもわかっていたかもしれない(笑)。いずれにしても、畑間さんは可愛い弟みたいなもんだから、僕が電通にいた10年とdofでの5年、合わせて15年間で学んできたことを彼に10年で詰め込んでしまおうと。そしてクローン人間のようなスーパーな「化け物」をつくってやろうと思ったんです。畑間さんは回り道をして28歳のときにうちに来て、スタートが遅かったから余計にね。そんな突然変異のスーパーマンがいてもいんじゃないか、って(笑)
―畑間
極端なことをいえば、それしかできなかったんですが、太郎さんのために役に立つことをしたいと自分なりに考えてましたね。太郎さんが何を考えているかは、太郎さんの奧さん並みに理解していたんじゃないかと思います。
―齋藤
妻よりもわかっていたかもしれない(笑)。いずれにしても、畑間さんは可愛い弟みたいなもんだから、僕が電通にいた10年とdofでの5年、合わせて15年間で学んできたことを彼に10年で詰め込んでしまおうと。そしてクローン人間のようなスーパーな「化け物」をつくってやろうと思ったんです。畑間さんは回り道をして28歳のときにうちに来て、スタートが遅かったから余計にね。そんな突然変異のスーパーマンがいてもいんじゃないか、って(笑)
クライアント以上の人間的なつながりを大事にする
クライアント以上の人間的なつながりを大事にする
―畑間
入社して間もなく、太郎さんから「東京マラソンに一緒に着ぐるみ着て走るぞ!」と言われましたよね。なんで?と思っていたら、dofが関わっていたサントリーさんの角ハイボールのPRの一環だったんですよね。
―齋藤
PRといっても正式に依頼をされた仕事でもなんでもなくて、勝手に面白がってやっただけの話でしたけどね。というか心配したサントリーさんから「そんなことしなくていいですよ」ぐらいのことまで言われました(笑)。僕が角瓶の、畑間さんがメンチカツの着ぐるみを着て走りましたね。自分自身がコンテンツになることで、どう広がっていくかを実験したいという気持ちもありました。今でいえばYouTuberがやっているようなことだと思いますが、当時はスマホやSNSの出はじめで、クライアントさんに提案する前にまずは実験してみよう、という気持ちでのトライでした。
―畑間
「仕事も遊びも本気でやる」という熱が伝わってきましたね。それと永谷園さんの「『冷え知らずさん』の生姜シリーズ」というカップスープのブランディングのときも、「生姜といえば永谷園」ということを印象づけるために、社内に「生姜部」という社員の部活を始めたんですよね。その運営を僕が任されたのですが、狙いは、「こういう活動をしているからこの商品は信じられるんだ」ということを伝え、なおかつ単なるキャンペーンで終わらせるのではなく、会社の文化としての活動にする、ということでした。千葉の農場に生姜を植えて育て、収穫もする。収穫祭の宴会には僕も参加させて頂きましたけど楽しかったですね。この二つのプロジェクトを通して、dofとクライアントさんとの一体感というか、ビジネス以上の人間的なつながりを大切にしながら仕事をしていることを感じました。これがdofの魅力だなって。
―畑間
入社して間もなく、太郎さんから「東京マラソンに一緒に着ぐるみ着て走るぞ!」と言われましたよね。なんで?と思っていたら、dofが関わっていたサントリーさんの角ハイボールのPRの一環だったんですよね。
―齋藤
PRといっても正式に依頼をされた仕事でもなんでもなくて、勝手に面白がってやっただけの話でしたけどね。というか心配したサントリーさんから「そんなことしなくていいですよ」ぐらいのことまで言われました(笑)。僕が角瓶の、畑間さんがメンチカツの着ぐるみを着て走りましたね。自分自身がコンテンツになることで、どう広がっていくかを実験したいという気持ちもありました。今でいえばYouTuberがやっているようなことだと思いますが、当時はスマホやSNSの出はじめで、クライアントさんに提案する前にまずは実験してみよう、という気持ちでのトライでした。
―畑間
「仕事も遊びも本気でやる」という熱が伝わってきましたね。それと永谷園さんの「『冷え知らずさん』の生姜シリーズ」というカップスープのブランディングのときも、「生姜といえば永谷園」ということを印象づけるために、社内に「生姜部」という社員の部活を始めたんですよね。その運営を僕が任されたのですが、狙いは、「こういう活動をしているからこの商品は信じられるんだ」ということを伝え、なおかつ単なるキャンペーンで終わらせるのではなく、会社の文化としての活動にする、ということでした。千葉の農場に生姜を植えて育て、収穫もする。収穫祭の宴会には僕も参加させて頂きましたけど楽しかったですね。この二つのプロジェクトを通して、dofとクライアントさんとの一体感というか、ビジネス以上の人間的なつながりを大切にしながら仕事をしていることを感じました。これがdofの魅力だなって。
憑依して相手に寄り添う肌感覚が養われる
―齋藤
他に畑間さんがたずさわったプロジェクトとして、格安スマホのトーンモバイルさんのプロジェクトがありましたね。僕がマーケティングの責任者になって、畑間さんと二人「セット」で動いてましたよね。先方からは僕か畑間さんか、どちらかが出向してきてほしいという打診があったんですが、僕が物理的に無理で、仕方なく畑間さんに行ってもらった。懐刀(ふところがたな)を差し出すのは会社としても痛かったんだけど、どうしてもトーンモバイルさんを勝たせたいと思ってましたからね。
―畑間
約1年の出向期間は僕にとって貴重な経験でしたね。トーンモバイルの石田宏樹社長と、太郎さんが立てたブランド戦略とマーケティング戦略を、どう実現するか、という仕事でした。当時、僕は宣伝本部副本部長という立場で関わっていたのですが、スタッフの教育、ブランドサイトの立ち上げなどをスタッフィングも含めて、プロデュースしていました。クリエイティブに関しても、電通の高崎卓馬さんや戸田宏一郎さん(現株式会社CC)とテレビCMやグラフィックなど表現部分をどうすればいいかを考えたりもしましたね。
―齋藤
他に畑間さんがたずさわったプロジェクトとして、格安スマホのトーンモバイルさんのプロジェクトがありましたね。僕がマーケティングの責任者になって、畑間さんと二人「セット」で動いてましたよね。先方からは僕か畑間さんか、どちらかが出向してきてほしいという打診があったんですが、僕が物理的に無理で、仕方なく畑間さんに行ってもらった。懐刀(ふところがたな)を差し出すのは会社としても痛かったんだけど、どうしてもトーンモバイルさんを勝たせたいと思ってましたからね。
―畑間
約1年の出向期間は僕にとって貴重な経験でしたね。トーンモバイルの石田宏樹社長と、太郎さんが立てたブランド戦略とマーケティング戦略を、どう実現するか、という仕事でした。当時、僕は宣伝本部副本部長という立場で関わっていたのですが、スタッフの教育、ブランドサイトの立ち上げなどをスタッフィングも含めて、プロデュースしていました。クリエイティブに関しても、電通の高崎卓馬さんや戸田宏一郎さん(現株式会社CC)とテレビCMやグラフィックなど表現部分をどうすればいいかを考えたりもしましたね。
―齋藤
石田さんと僕が、投資計画や、キャッシュフローについてなど、経営の話をしていたのを横で聞いていたよね。
―畑間
そうですね、毎日のように。最初はわからなかった数字の話が、時間が経つにつれて理解できるようになったことがその後、役に立ちました。数字責任も負っていたので、石田さんにレポートしたりしていました。
―齋藤
石田さんにもずいぶん可愛がってもらったよね。
―畑間
最初の半年は少し距離を感じてたんです。でも途中から色々なことを相談されるようになって、事業合宿にも誘われるようになってからは、経営会議に向けた資料作成、株主総会やPRイベントの資料も作っていました。数字をどう見せれば伝わりやすいかを考えることは割と得意だったので楽しかったです。取締役会に出すための資料作りもして、役員向けに説明する時にそのときにどういう伝え方をすればよいのかという試行錯誤ができたので、学びが多かったですね。そういう経験を通して、クライアントサイドとの共通言語が学べましたね。受注者・発注者という関係性ではなく、まさに相手に憑依して気持ちに寄り添うことが今できているのは、ここでの経験が大きかったです。
―齋藤
畑間さんほどプレゼン資料をうまく作る人、見たことないよ。抜群にうまいからね。
―畑間
僕はプレゼンのロジックや流れを、視覚的にインパクトがあって、わかりやすくするのが得意なんですが、太郎さんがクリエイティブディレクターとして関わっていた経済団体、新経済連盟の発表会資料の作成なんかもお手伝いしました。代表理事である、楽天の三木谷(浩史)さんのプレゼン資料を作ったりしましたが、これもすごく勉強になりましたね。
―齋藤
1枚の資料で〝ドヤ!〟という感じで見せる力がすごい。わかりやすいし、かなり勉強しているよね。
―畑間
カンファレンスなどで、プレゼンをされるトップの方々がどんなスライドを使っているかとか…研究するのが好きなんですよ。いいプレゼンを目にしたらこまめに画面をキャプチャリングしたりしてパクっています(笑)。
―齋藤
石田さんと僕が、投資計画や、キャッシュフローについてなど、経営の話をしていたのを横で聞いていたよね。
―畑間
そうですね、毎日のように。最初はわからなかった数字の話が、時間が経つにつれて理解できるようになったことがその後、役に立ちました。数字責任も負っていたので、石田さんにレポートしたりしていました。
―齋藤
石田さんにもずいぶん可愛がってもらったよね。
―畑間
最初の半年は少し距離を感じてたんです。でも途中から色々なことを相談されるようになって、事業合宿にも誘われるようになってからは、経営会議に向けた資料作成、株主総会やPRイベントの資料も作っていました。数字をどう見せれば伝わりやすいかを考えることは割と得意だったので楽しかったです。取締役会に出すための資料作りもして、役員向けに説明する時にそのときにどういう伝え方をすればよいのかという試行錯誤ができたので、学びが多かったですね。そういう経験を通して、クライアントサイドとの共通言語が学べましたね。受注者・発注者という関係性ではなく、まさに相手に憑依して気持ちに寄り添うことが今できているのは、ここでの経験が大きかったです。
―齋藤
畑間さんほどプレゼン資料をうまく作る人、見たことないよ。抜群にうまいからね。
―畑間
僕はプレゼンのロジックや流れを、視覚的にインパクトがあって、わかりやすくするのが得意なんですが、太郎さんがクリエイティブディレクターとして関わっていた経済団体、新経済連盟の発表会資料の作成なんかもお手伝いしました。代表理事である、楽天の三木谷(浩史)さんのプレゼン資料を作ったりしましたが、これもすごく勉強になりましたね。
―齋藤
1枚の資料で〝ドヤ!〟という感じで見せる力がすごい。わかりやすいし、かなり勉強しているよね。
―畑間
カンファレンスなどで、プレゼンをされるトップの方々がどんなスライドを使っているかとか…研究するのが好きなんですよ。いいプレゼンを目にしたらこまめに画面をキャプチャリングしたりしてパクっています(笑)。
dofが「人材の梁山泊」のようになればいい
dofが「人材の梁山泊」のようになればいい
―齋藤
トーンモバイルさんに出向して1年後かな、dofに戻りたいという話があったのは。
―畑間
やりきった感じがありましたからね。そもそも僕は、いろんな人たちを幸せにするために仕事をしているという思いがありましたから、ひとつの事業の中にずっといるのは違うかなと。dofに入って10年たって、次の10年を考える時期でもありました。
―齋藤
それから間もなく独立の話を切り出されてね。実は、すぐに受け入れられませんでした。いなくなるのは痛手だし、彼もうちから出て行くことで、大きなプロジェクトをやるチャンスを確実に失う。それが畑間さんにとっていいのかどうかも考えました。でも、本人にとっては仕事の大きさじゃないんだろうな、1人の大将として仕事をしたいんだろうな、という気持ちは、自分自身も経験したことだし、理解できました。dofで経験を積んだ人が成長して、輝いて、巣立っていく。そして、世の中に色々なカタチで貢献をしていく。うちの会社が「人材の梁山泊」のようになればいいなと思ってるんです。なので、うちの執行役員の工藤拓真や川名孝幸も、その他のメンバーも、dofとは別で自分の会社を立ち上げ、dofとは別で経営者の側面を持つことを奨励しています。
―畑間
クリエイティブの方はよく独立するんですけど、プロデューサーはそんなに独立しませんよね。クリエイティブとクライアントの間って、距離がある気がするんです。そこをうまく埋めていくプロデューサーという役割がこれから必要になってくるんじゃないかという気がするし、注目されてもいいんじゃないかと思って、そこにチャレンジしようと。
―齋藤
いま手がけている仕事をみると、そういう仕事が多いよね。
―畑間
立ち上げのときは太郎さんやCCの戸田さん、今までお仕事した方々からお仕事を紹介していただいたりしました。広告代理店を通して、「クリエイティブ・プロデュース」をする場合もありますが、最近は、クライアントさんが代理店に依頼せずに自分たちで宣伝や商品開発をする「インハウス化」のケースが増えています。そういう場合、クライアントさんにマーケティングがわかるスタッフがいないことが多いので、僕みたいな人間の出番があるわけです。クライアントさんのスタッフと打ち合わせをしながら、ウェブやPRを担当してくれる多くのクリエイターに仕事を任せていく。こういう「エージェンシー・プロデュース」が、いまは仕事の半分ぐらいですね。
―齋藤
ウエルシアホールディングスさんのお仕事もお手伝いしてるんだよね。
―畑間
ウエルシアさんは、クリエイティブディレクターがCCの戸田宏一郎さん、コピーライターが岡本欣也さんという座組みで2年前よりプライベートブランドのリニューアルプロジェクトを進めています。商品企画部と商品開発を進めるだけでなく、社長とも定例でミーティングを行い、プライベートブランド戦略について議論をしながら、PRからWEBや販促などの制作業務をプロデュースしています。商品企画だけで終わらせてしまうのではなく、ウエルシアさんらしいブランドイメージ作りも進めています。
―齋藤
トーンモバイルさんに出向して1年後かな、dofに戻りたいという話があったのは。
―畑間
やりきった感じがありましたからね。そもそも僕は、いろんな人たちを幸せにするために仕事をしているという思いがありましたから、ひとつの事業の中にずっといるのは違うかなと。dofに入って10年たって、次の10年を考える時期でもありました。
―齋藤
それから間もなく独立の話を切り出されてね。実は、すぐに受け入れられませんでした。いなくなるのは痛手だし、彼もうちから出て行くことで、大きなプロジェクトをやるチャンスを確実に失う。それが畑間さんにとっていいのかどうかも考えました。でも、本人にとっては仕事の大きさじゃないんだろうな、1人の大将として仕事をしたいんだろうな、という気持ちは、自分自身も経験したことだし、理解できました。dofで経験を積んだ人が成長して、輝いて、巣立っていく。そして、世の中に色々なカタチで貢献をしていく。うちの会社が「人材の梁山泊」のようになればいいなと思ってるんです。なので、うちの執行役員の工藤拓真や川名孝幸も、その他のメンバーも、dofとは別で自分の会社を立ち上げ、dofとは別で経営者の側面を持つことを奨励しています。
―畑間
クリエイティブの方はよく独立するんですけど、プロデューサーはそんなに独立しませんよね。クリエイティブとクライアントの間って、距離がある気がするんです。そこをうまく埋めていくプロデューサーという役割がこれから必要になってくるんじゃないかという気がするし、注目されてもいいんじゃないかと思って、そこにチャレンジしようと。
―齋藤
いま手がけている仕事をみると、そういう仕事が多いよね。
―畑間
立ち上げのときは太郎さんやCCの戸田さん、今までお仕事した方々からお仕事を紹介していただいたりしました。広告代理店を通して、「クリエイティブ・プロデュース」をする場合もありますが、最近は、クライアントさんが代理店に依頼せずに自分たちで宣伝や商品開発をする「インハウス化」のケースが増えています。そういう場合、クライアントさんにマーケティングがわかるスタッフがいないことが多いので、僕みたいな人間の出番があるわけです。クライアントさんのスタッフと打ち合わせをしながら、ウェブやPRを担当してくれる多くのクリエイターに仕事を任せていく。こういう「エージェンシー・プロデュース」が、いまは仕事の半分ぐらいですね。
―齋藤
ウエルシアホールディングスさんのお仕事もお手伝いしてるんだよね。
―畑間
ウエルシアさんは、クリエイティブディレクターがCCの戸田宏一郎さん、コピーライターが岡本欣也さんという座組みで2年前よりプライベートブランドのリニューアルプロジェクトを進めています。商品企画部と商品開発を進めるだけでなく、社長とも定例でミーティングを行い、プライベートブランド戦略について議論をしながら、PRからWEBや販促などの制作業務をプロデュースしています。商品企画だけで終わらせてしまうのではなく、ウエルシアさんらしいブランドイメージ作りも進めています。
独立後も太郎さんは「兄」であり「師」である
独立後も太郎さんは「兄」であり「師」である
―齋藤
独立したとはいっても、実は、月に1回、畑間さんとミーティングしているんです。「株式会社はたま」には、dofから20%、僕が共同代表をつとめる株式会社CCから10%出資しているので、グループ会社のようなものです。スタートしたばかりで、数字の見方や起こりうるリスクもまだちゃんとわかっていないだろうし、小さい会社だと入ってくる情報量が少なくなってしまうから、そういうところを補う意味がありました。独立して2年が経って、順調そうなので、打ち合わせの頻度を減らしてもいいかなあ、とは思っています。
―畑間
太郎さんは「兄」であり「師」でもありますから、仕事以外のことでも相談できるのはありがたいですね。あと、話していて思うのは、大切なことを気づかせてくれるのも大きいなって。いろいろな仕事を抱えていると、どうしても目先の仕事に追われて、自分の事業の未来について考えられていなかったり、視野が狭くなっていたりする。そこを見抜かれていて、「お前、そのままでいいんだっけ?」という問いかけをしてくれる。
―齋藤
たいしたフォローじゃないけど、俯瞰で畑間さんの仕事を見ているからわかる部分があるからね。自分が言ったことで少し目線を上げるきっかけになってくれればいいなと。社長の難しいところは、自分の尻を叩いてくれる人が意外といないことなんですよね。正解がないことをずっとやっているから不安も感じるしね。
―畑間
最近のミーティングの話題は、社名の変更についてですよね。(笑)
―齋藤
そうそう。「株式会社はたま」という属人性の高い今の社名ではなく、たとえば「株式会社間(あいだ)」とか。どんな場所でも会社でも、人と人の間、部署と部署の間に入っていって、うまく取り持って仕事やプロジェクトをスムーズに動かす。そういう蝶番というか、関節の軟骨というか、そういう役割や特徴を社名にしたほうが、仕事をお願いする側もしやすいと思うんだよね。「畑間」って名前にも「間」という漢字があるし。(笑)実はこのネーミングは一緒に色々な仕事をしているコピーライターの中村直史さんが考えてくれたんですよ。(笑)
―畑間
わかりました。社名、変えます。(笑)「株式会社あいだ」で。
―齋藤
独立したとはいっても、実は、月に1回、畑間さんとミーティングしているんです。「株式会社はたま」には、dofから20%、僕が共同代表をつとめる株式会社CCから10%出資しているので、グループ会社のようなものです。スタートしたばかりで、数字の見方や起こりうるリスクもまだちゃんとわかっていないだろうし、小さい会社だと入ってくる情報量が少なくなってしまうから、そういうところを補う意味がありました。独立して2年が経って、順調そうなので、打ち合わせの頻度を減らしてもいいかなあ、とは思っています。
―畑間
太郎さんは「兄」であり「師」でもありますから、仕事以外のことでも相談できるのはありがたいですね。あと、話していて思うのは、大切なことを気づかせてくれるのも大きいなって。いろいろな仕事を抱えていると、どうしても目先の仕事に追われて、自分の事業の未来について考えられていなかったり、視野が狭くなっていたりする。そこを見抜かれていて、「お前、そのままでいいんだっけ?」という問いかけをしてくれる。
―齋藤
たいしたフォローじゃないけど、俯瞰で畑間さんの仕事を見ているからわかる部分があるからね。自分が言ったことで少し目線を上げるきっかけになってくれればいいなと。社長の難しいところは、自分の尻を叩いてくれる人が意外といないことなんですよね。正解がないことをずっとやっているから不安も感じるしね。
―畑間
最近のミーティングの話題は、社名の変更についてですよね。(笑)
―齋藤
そうそう。「株式会社はたま」という属人性の高い今の社名ではなく、たとえば「株式会社間(あいだ)」とか。どんな場所でも会社でも、人と人の間、部署と部署の間に入っていって、うまく取り持って仕事やプロジェクトをスムーズに動かす。そういう蝶番というか、関節の軟骨というか、そういう役割や特徴を社名にしたほうが、仕事をお願いする側もしやすいと思うんだよね。「畑間」って名前にも「間」という漢字があるし。(笑)実はこのネーミングは一緒に色々な仕事をしているコピーライターの中村直史さんが考えてくれたんですよ。(笑)
―畑間
わかりました。社名、変えます。(笑)「株式会社あいだ」で。
■後記(齋藤)
記事にもあるように、文字通り「同じ釜の飯を食べた」間柄の畑間さんが独立をするというのはショックでしたし、会社にとっても大きな痛手でした。一方で、dofでさまざまな仕事での経験を通して成長を遂げた人間が、別のカタチで社会にハッピーな影響を与えていくことが出来ているのは、「世界一ハッピーな会社」を目指している私たちとしてはあるべき姿なんじゃないかとも思っています。人間色々なタイプがいますが、自らがチャレンジしたい、という気持ちは純粋に応援してあげたいと思っています。
■後記(齋藤)
記事にもあるように、文字通り「同じ釜の飯を食べた」間柄の畑間さんが独立をするというのはショックでしたし、会社にとっても大きな痛手でした。一方で、dofでさまざまな仕事での経験を通して成長を遂げた人間が、別のカタチで社会にハッピーな影響を与えていくことが出来ているのは、「世界一ハッピーな会社」を目指している私たちとしてはあるべき姿なんじゃないかとも思っています。人間色々なタイプがいますが、自らがチャレンジしたい、という気持ちは純粋に応援してあげたいと思っています。
■株式会社はたま
>VISIT BRAND SITE
取材・構成・文 西所正道
撮影 sono
編集 徳間書店
■株式会社はたま
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取材・構成・文 西所正道
撮影 sono
編集 徳間書店
インタビュー参加者
インタビュー参加者
株式会社はたま
株式会社はたま
畑間晶太様
畑間晶太様
株式会社dof 代表取締役/コミュニケーション・デザイナー
株式会社dof 代表取締役/コミュニケーション・デザイナー
齋藤太郎
齋藤太郎
企業のブランドづくりへ。
“遺る”文化と価値をつくり続ける。
企業のブランドづくりへ。
“遺る”文化と価値をつくり続ける。
大学卒業後、ファーストキャリアは総合商社。その後、MBAを取得し、スタートアップの取締役CFOを務めたのち、dofに参画するという異色の経歴の持ち主。そんな宇佐見が前職で深いつな…
大学卒業後、ファーストキャリアは総合商社。その後、MBAを取得し、スタートアップの取締役CFOを務めたのち、dofに参画するという異色の経歴の持ち主。そんな宇佐見が前職で深いつな…
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角・トリスチームと語る、大島征夫。
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角・トリスチームと語る、大島征夫。
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新たなマスメディアづくりへの挑戦。
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