齋藤太郎の誕生日に
dofメンバーが仕掛けた“らしい”企画と
その舞台裏。
齋藤太郎の誕生日に
dofメンバーが仕掛けた“らしい”企画と
その舞台裏。
2022年、dofは創業18年目にしてメンバー数が10名を超え、現在は総員11名の会社になりました。
時を同じくして、2022年11月24日にdof代表の齋藤太郎が50歳の誕生日を迎えました。そこでdofメンバーが一丸となって仕掛けたのが、「太郎バースデー企画」。ケーキや手紙はもちろん、Tシャツ、ステッカーなどのグッズ作成、故郷のアメリカ・オハイオ州クリーブランドにビルボード(屋外広告)を出しエモーショナルなバースデームービーを制作するなどの取り組みの数々に、一部の方からは「狂ってる!(おそらくいい意味で、、、)」といった反響が数多く寄せられました。
今回は、そんな「太郎バースデー企画」の舞台裏から、dofメンバーが大切にしている価値観やdof的ダイバーシティなど、このプロジェクトに凝縮されているであろう「dofっぽさ」を感じていただくべく、企画に携わったメンバーの座談会の模様をお届けします。
2022年、dofは創業18年目にしてメンバー数が10名を超え、現在は総員11名の会社になりました。
時を同じくして、2022年11月24日にdof代表の齋藤太郎が50歳の誕生日を迎えました。そこでdofメンバーが一丸となって仕掛けたのが、「太郎バースデー企画」。ケーキや手紙はもちろん、Tシャツ、ステッカーなどのグッズ作成、故郷のアメリカ・オハイオ州クリーブランドにビルボード(屋外広告)を出しエモーショナルなバースデームービーを制作するなどの取り組みの数々に、一部の方からは「狂ってる!(おそらくいい意味で、、、)」といった反響が数多く寄せられました。
今回は、そんな「太郎バースデー企画」の舞台裏から、dofメンバーが大切にしている価値観やdof的ダイバーシティなど、このプロジェクトに凝縮されているであろう「dofっぽさ」を感じていただくべく、企画に携わったメンバーの座談会の模様をお届けします。
【必見】dofメンバーが仕掛けた渾身のバースデームービーがこちら。
(ダマされたと思って、まずはこちらをご覧ください!)
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「冗談でしょ?」と思うくらいの
飛ばし方がちょうどいい説。
「冗談でしょ?」と思うくらいの
飛ばし方がちょうどいい説。
▲ 実際にクリーブランドに掲出したビルボード
▲ 実際にクリーブランドに掲出したビルボード
−聞き手
今回のテーマは「太郎バースデーの舞台裏」ということで、企画に携わったみなさんのお話を伺えたらと思います!まずはこの企画がどのように立ち上がったのか教えてください。
−野中
太郎さんが50歳になるっていうメモリアルなタイミングで、大きなパーティをやりたかったのですが、ご時世的に難しいなっていうのが発端でしたね。
−川名
そうですね。この状況で、セレブレーション感をどうやって醸成していくか、全員で考えました。
−工藤
dofの仕事って人と人との関係で成り立つものだから、Zoom越しでは伝わらないような非言語のコミュニケーションをすごく大切にしていて。だからこそ今回のような催しものみたいなことを大事にする文化があるんです。週の頭に社員がリアルで顔を合わせていろんな議論をする「dof会」や、月イチで全社員で美味しいものを食べに行く「dofナイト」と言ったイベントもありますが、これは創業者である大島さんや太郎さんの「飲みながら人間をさらけ出して付き合う」ことを大切にするDNAが受け継がれているということなんだと思います。
−川名
最初は社内に閉じた形で何かを形にしていくイメージを持っていましたが、蓋を開けてみるとクライアントの皆様やパートナーの方々をはじめとしたいろいろな方にご協力いただく企画になりましたね。
−工藤
そうですね、「齋藤太郎が50歳になる」というときに、お世話になっているクライアントの方々やパートナーの方々、太郎さんの周辺の方々への日頃の感謝も込めて、一緒に楽しめる何かがしたい。せっかくなので、何かみなさんの記憶に残るものができるといいな、と考えていました。
−聞き手
そんな中でビルボードをアメリカに掲出するイメージが出てきたんですね。
−工藤
無謀っぽくても、何かひとつ旗を立ててみようというのがありました。
催しものって、日々忙しくしているとあっという間に当日が近づいてきてしまうじゃないですか。だから何かひとつ目指すところを打ち出したかったんです。そこで何をしようかと考えたときに、太郎さんのルーツに関わる何かを仕掛けると良いかもね、となって。そこから太郎さんはアメリカのクリーブランドという土地で生まれ育ったことを思い出して、「生まれ故郷であり太郎さんの人格を形成したアメリカに錦を飾る、というのが太郎さんらしい50歳なんじゃないか」という話になった結果、クリーブランドにビルボードを出そう!という初期構想が生まれました。
−柴山
それを聞いて、率直に「工藤さんがぶっ飛んだこと言い出したな」と思いました。クリーブランドに広告を出すなんて思いもよらなかったですし、初めてそのアイデアを聞いたときには「すごく面白いな」と思いつつ、驚きと戸惑いがありました。だって、頭おかしいですよね。(笑)
−聞き手
今回のテーマは「太郎バースデーの舞台裏」ということで、企画に携わったみなさんのお話を伺えたらと思います!まずはこの企画がどのように立ち上がったのか教えてください。
−野中
太郎さんが50歳になるっていうメモリアルなタイミングで、大きなパーティをやりたかったのですが、ご時世的に難しいなっていうのが発端でしたね。
−川名
そうですね。この状況で、セレブレーション感をどうやって醸成していくか、全員で考えました。
−工藤
dofの仕事って人と人との関係で成り立つものだから、Zoom越しでは伝わらないような非言語のコミュニケーションをすごく大切にしていて。だからこそ今回のような催しものみたいなことを大事にする文化があるんです。週の頭に社員がリアルで顔を合わせていろんな議論をする「dof会」や、月イチで全社員で美味しいものを食べに行く「dofナイト」と言ったイベントもありますが、これは創業者である大島さんや太郎さんの「飲みながら人間をさらけ出して付き合う」ことを大切にするDNAが受け継がれているということなんだと思います。
−川名
最初は社内に閉じた形で何かを形にしていくイメージを持っていましたが、蓋を開けてみるとクライアントの皆様やパートナーの方々をはじめとしたいろいろな方にご協力いただく企画になりましたね。
−工藤
そうですね、「齋藤太郎が50歳になる」というときに、お世話になっているクライアントの方々やパートナーの方々、太郎さんの周辺の方々への日頃の感謝も込めて、一緒に楽しめる何かがしたい。せっかくなので、何かみなさんの記憶に残るものができるといいな、と考えていました。
−聞き手
そんな中でビルボードをアメリカに掲出するイメージが出てきたんですね。
−工藤
無謀っぽくても、何かひとつ旗を立ててみようというのがありました。
催しものって、日々忙しくしているとあっという間に当日が近づいてきてしまうじゃないですか。だから何かひとつ目指すところを打ち出したかったんです。そこで何をしようかと考えたときに、太郎さんのルーツに関わる何かを仕掛けると良いかもね、となって。そこから太郎さんはアメリカのクリーブランドという土地で生まれ育ったことを思い出して、「生まれ故郷であり太郎さんの人格を形成したアメリカに錦を飾る、というのが太郎さんらしい50歳なんじゃないか」という話になった結果、クリーブランドにビルボードを出そう!という初期構想が生まれました。
−柴山
それを聞いて、率直に「工藤さんがぶっ飛んだこと言い出したな」と思いました。クリーブランドに広告を出すなんて思いもよらなかったですし、初めてそのアイデアを聞いたときには「すごく面白いな」と思いつつ、驚きと戸惑いがありました。だって、頭おかしいですよね。(笑)
「そこまでやります?」
なんてこと言う人が
誰もいない問題。
「そこまでやります?」
なんてこと言う人が
誰もいない問題。
▲ 第4版まで及んだ本プロジェクトの企画書たち。
▲ 第4版まで及んだ本プロジェクトの企画書たち。
−聞き手
取り組みを進めるにあたっては、どのような分担や体制があったんですか?
−柴山
誰かが「君はこれね」と指示を出していたわけではなくて、それぞれのメンバーが自分にできることをやる形でボールを拾っていった、という感じでしたね。
−野中
媒体のことはそれについて詳しい石井さん、太郎さんのご両親へのインタビューはコミュニケーションがうまい内山田さん、みたいな形でしたね。
−工藤
映像づくりをはじめ、制作現場の経験が長い高野さんが結果として拾ってくれたところもかなりありました。なかなかまとまらない話が多い中で、途中からはもう後光が差して見えました(笑)
−高野
石井さんから相談を受けて、ロサンゼルスの知人経由でビルボードの掲出先を探して、なんとか良い掲出先を見つけることが出来ました。
−聞き手
バースデームービーは初期構想にはなかったんですか?
−高野
初期の企画はクリーブランドにビルボードを出して、掲出写真を太郎さんに見せる予定でした。でも、それだけだと少し伝わりにくいんじゃないの?という話をして。せっかくビルボードを出すなら、太郎さんが育ったクリーブランドの街並みや思い出をまとめたバースデームービーも作った方がいいのでは!と、企画に加えました。せっかくならもっと伝わりやすく、面白くしたいと思ってしまったんですね。まあ悪ふざけに拍車をかけるというか。(笑)
−工藤
最初は海外ロケに行く構想も出ていましたね。
−高野
そうそう、GOでタクシーを呼んで羽田空港に行って、ラウンジで角ハイボールを飲んで、現地についたらポケトークを使って、というような構想でしたね。そこから太郎さんの育った家や学校をめぐるうちに、ビルボードを見つける、みたいな。新型コロナによる隔離リスクなどもあったので現地には行けませんでしたが。そういった背景もあってロードムービーのような構成に変えて、自分で編集して、ナレーションも自分の声で入れて。ナレ撮りだけで2時間半(笑)
−聞き手
太郎さんのルーツに関する情報はどうやって集めたんですか?
−内山田
太郎さんのクリーブランド時代のことについては、太郎さんの奥様もご存知なかったので、奥様経由でご両親と連絡を取らせていただきました。普段は遠方にお住まいなのですが、ちょうど東京にいらっしゃるタイミングで直接お会いしてお話を伺ったりアルバムをお借りしたりもして。思い出の場所や通っていた学校、住んでいた家などをGoogle Mapにまとめて、動画を撮影してくださる協力者の方に共有しました。
−聞き手
取り組みを進めるにあたっては、どのような分担や体制があったんですか?
−柴山
誰かが「君はこれね」と指示を出していたわけではなくて、それぞれのメンバーが自分にできることをやる形でボールを拾っていった、という感じでしたね。
−野中
媒体のことはそれについて詳しい石井さん、太郎さんのご両親へのインタビューはコミュニケーションがうまい内山田さん、みたいな形でしたね。
−工藤
映像づくりをはじめ、制作現場の経験が長い高野さんが結果として拾ってくれたところもかなりありました。なかなかまとまらない話が多い中で、途中からはもう後光が差して見えました(笑)
−高野
石井さんから相談を受けて、ロサンゼルスの知人経由でビルボードの掲出先を探して、なんとか良い掲出先を見つけることが出来ました。
−聞き手
バースデームービーは初期構想にはなかったんですか?
−高野
初期の企画はクリーブランドにビルボードを出して、掲出写真を太郎さんに見せる予定でした。でも、それだけだと少し伝わりにくいんじゃないの?という話をして。せっかくビルボードを出すなら、太郎さんが育ったクリーブランドの街並みや思い出をまとめたバースデームービーも作った方がいいのでは!と、企画に加えました。せっかくならもっと伝わりやすく、面白くしたいと思ってしまったんですね。まあ悪ふざけに拍車をかけるというか。(笑)
−工藤
最初は海外ロケに行く構想も出ていましたね。
−高野
そうそう、GOでタクシーを呼んで羽田空港に行って、ラウンジで角ハイボールを飲んで、現地についたらポケトークを使って、というような構想でしたね。そこから太郎さんの育った家や学校をめぐるうちに、ビルボードを見つける、みたいな。新型コロナによる隔離リスクなどもあったので現地には行けませんでしたが。そういった背景もあってロードムービーのような構成に変えて、自分で編集して、ナレーションも自分の声で入れて。ナレ撮りだけで2時間半(笑)
−聞き手
太郎さんのルーツに関する情報はどうやって集めたんですか?
−内山田
太郎さんのクリーブランド時代のことについては、太郎さんの奥様もご存知なかったので、奥様経由でご両親と連絡を取らせていただきました。普段は遠方にお住まいなのですが、ちょうど東京にいらっしゃるタイミングで直接お会いしてお話を伺ったりアルバムをお借りしたりもして。思い出の場所や通っていた学校、住んでいた家などをGoogle Mapにまとめて、動画を撮影してくださる協力者の方に共有しました。
「じゃあ僕、太郎さん役やるんで」
本番直前、鬼のリハ、始まる。
「じゃあ僕、太郎さん役やるんで」
本番直前、鬼のリハ、始まる。
▲ タオル(写真)、Tシャツ、ステッカーなど、太郎グッズが多面展開
▲ タオル(写真)、Tシャツ、ステッカーなど、太郎グッズが多面展開
−聞き手
お披露目当日は、社員旅行先の韓国で迎えたんですよね。
−野中
韓国でお披露目しようと決まってからは、柴山さんの動きがすごかったですね。そこで急にスイッチが入った感じで。
−川名
タオルなどのグッズ、ステッカーを作ってくれたりもしましたし、韓国での当日のコーディネートはほぼ柴山さんでしたね。
−柴山
最初はみなさんの案件仕事ばりの動きにただただ圧倒されていたんですが…。ただ、社員旅行でお披露目することが決まってから、dofの社員旅行はいろいろなイベントが入ってくることが多いので、うまくお披露目のタイミングをつくらないと流れてしまうんじゃないかと不安に思いました。
−聞き手
お披露目当日は、社員旅行先の韓国で迎えたんですよね。
−野中
韓国でお披露目しようと決まってからは、柴山さんの動きがすごかったですね。そこで急にスイッチが入った感じで。
−川名
タオルなどのグッズ、ステッカーを作ってくれたりもしましたし、韓国での当日のコーディネートはほぼ柴山さんでしたね。
−柴山
最初はみなさんの案件仕事ばりの動きにただただ圧倒されていたんですが…。ただ、社員旅行でお披露目することが決まってから、dofの社員旅行はいろいろなイベントが入ってくることが多いので、うまくお披露目のタイミングをつくらないと流れてしまうんじゃないかと不安に思いました。
▲ 登山メンバーの様子。サムアップは工藤CD。この裏で柴山がソウルを駆け回っていた!
▲ 登山メンバーの様子。サムアップは工藤CD。この裏で柴山がソウルを駆け回っていた!
−川名
そうですね。だから内容は全てサプライズとして隠しつつ、太郎さんに「この日の夜の予定だけ空けておいてください」という形で工藤さんに伝えていただいて。現地に入って、太郎さんと何人かのメンバーで登山している時にも、柴山さんがソウル中を駆け回ってお店の手配やロジスティクスを考えてくれていました。
−柴山
本番が近づくにつれて、みんな目が真剣ですごかったですよ。
会場に太郎さんが来る前には、川名さんが「僕が太郎さん役やるんで」と言って、会場に太郎さんが入ってきたときのリアクションのリハーサルもしたりとか(笑)。最後は「これをなんとか成功させなきゃ」っていう使命感みたいなものをみなさんから感じました。
−川名
dofの「ハッピー鬼十則」に「『人生はすばらしい』そう言えるために働き、遊び、生きるのだから」という言葉がありますが、仕事も遊びも本気、みたいなところがdofにはありますよね。だからバースデーも企画から本気でやる。これがdofっぽさなのかもしれないですね。
−川名
そうですね。だから内容は全てサプライズとして隠しつつ、太郎さんに「この日の夜の予定だけ空けておいてください」という形で工藤さんに伝えていただいて。現地に入って、太郎さんと何人かのメンバーで登山している時にも、柴山さんがソウル中を駆け回ってお店の手配やロジスティクスを考えてくれていました。
−柴山
本番が近づくにつれて、みんな目が真剣ですごかったですよ。
会場に太郎さんが来る前には、川名さんが「僕が太郎さん役やるんで」と言って、会場に太郎さんが入ってきたときのリアクションのリハーサルもしたりとか(笑)。最後は「これをなんとか成功させなきゃ」っていう使命感みたいなものをみなさんから感じました。
−川名
dofの「ハッピー鬼十則」に「『人生はすばらしい』そう言えるために働き、遊び、生きるのだから」という言葉がありますが、仕事も遊びも本気、みたいなところがdofにはありますよね。だからバースデーも企画から本気でやる。これがdofっぽさなのかもしれないですね。
▲ dofのバリュー、ハッピー鬼十則
▲ dofのバリュー、ハッピー鬼十則
−工藤
ビルボードをデザインしてくれたCC INC.の戸田宏一郎さんも、遊びだからって緩めることなく本気でやってくれましたね。途中からノリノリで、「せっかくだからTシャツも作っちゃおうよ!」って。(笑)
−川名
戸田さんもそうですし、本当にたくさんの方々から誕生日のメッセージムービーを送っていただくなどご協力をいただいて、それを受け取る太郎さんもすごく愛情を感じられたんじゃないかと思います。dofメンバーからの手紙やムービーもそう。そういうことがつながって、本番では太郎さんの涙腺も崩壊していましたね。
−工藤
ビルボードをデザインしてくれたCC INC.の戸田宏一郎さんも、遊びだからって緩めることなく本気でやってくれましたね。途中からノリノリで、「せっかくだからTシャツも作っちゃおうよ!」って。(笑)
−川名
戸田さんもそうですし、本当にたくさんの方々から誕生日のメッセージムービーを送っていただくなどご協力をいただいて、それを受け取る太郎さんもすごく愛情を感じられたんじゃないかと思います。dofメンバーからの手紙やムービーもそう。そういうことがつながって、本番では太郎さんの涙腺も崩壊していましたね。
▲ 齋藤太郎、皆からの手紙を前に涙腺崩壊
▲ 齋藤太郎、皆からの手紙を前に涙腺崩壊
−内山田
太郎さんのご家族やご両親も、こういった企画が動いていること自体にすごく喜んでくれました。ご家族やご両親の気持ちを背負っている分、当日の太郎さんの表情を見ていて私も嬉しかったです。本番の後、お母様にムービーをお送りしたときにも「本当にありがとう」とご連絡をくれて、ご家族までハッピーの輪が広がっている実感が得られましたし、会社のメンバーが一丸となってそれが実現出来たことがとても良かったです。
−内山田
太郎さんのご家族やご両親も、こういった企画が動いていること自体にすごく喜んでくれました。ご家族やご両親の気持ちを背負っている分、当日の太郎さんの表情を見ていて私も嬉しかったです。本番の後、お母様にムービーをお送りしたときにも「本当にありがとう」とご連絡をくれて、ご家族までハッピーの輪が広がっている実感が得られましたし、会社のメンバーが一丸となってそれが実現出来たことがとても良かったです。
▲ ビルボードやTシャツなどをデザインしてくだったCC INC.の皆さん
▲ ビルボードやTシャツなどをデザインしてくだったCC INC.の皆さん
太郎、涙腺崩壊。
dofらしさ、ここに結実。
太郎、涙腺崩壊。
dofらしさ、ここに結実。
−聞き手
dofにとって、今回のプロジェクトとは何だったのでしょうか?
−川名
社員が一つになったプロジェクト、だったかなと思っています。
代表である太郎さんの50歳という節目をひとりひとりが自分事化して、相手の期待値を超えるところを目指し、全員でコミュニケーションをとりながら取り組めたのはすごく良かったですし、それらはdofの仕事にも共通することだと思います。また、普段メンバーはそれぞれの案件に取り組んでいるので、「今のメンバーが初めて1つになって取り組んだプロジェクト」とも言えると思いますし、それを全力で頑張って実現できたのが本当に良かったです。
−内山田
一致団結したなかで、みんなの「得意」がうまくかみ合って発揮されて、その結果プロジェクトが実現したり、喜びの輪が広がっていったということが「dofらしく」とてもいい経験になりました。
−野中
私はいろんなことが進んでいく様子を見ていて、「dofのメンバーヤバいな」って心底思いました。映像も、いざ出来上がったらクオリティが高くて、撮影でドローンとか飛ばしているし(笑) 強烈な個性を持った人たちがたくさんいるチームだな、というのを再認識しました。
−柴山
そうですね、日々の案件に携わっているときとは違った、ひとりひとりの強みや魅力に気付かされたプロジェクトでもありました。
−高野
これを読んでくれている方がどう感じられるかというのはわかりませんが、こういうイベントごとをやりました、と言う話ではありつつも、そこにある「dofらしさ」というのが「ファミリーっぽさ」とはまた違うと思っていて。個々人のパフォーマンスで、それぞれが「いい意味で勝手にやったこと」がうまく融合していくのがdofなんじゃないかなと思います。わざわざ拾いに行かなければ映像なんて作らないで静かにしていることもできるけど、「せっかくなんだからやろうぜ」みたいな。そういう一人ずつの狂気みたいなものが集まって、結果的に良い形になったので、素晴らしいプロジェクトだったなと思います。
−工藤
向こう50年くらいはやりたくないですね(笑)
でも今回のプロジェクトについては、「どうせやるなら」という気持ちが共有されていたように思います。何をやるにしても、どのみち時間はかかる。どうせやるならショボいものじゃなくて、本気でやる。どうせやるなら、楽しんでやる。面白い方に持っていく。そういうところがdofっぽいなと思いました。
−聞き手
dofにとって、今回のプロジェクトとは何だったのでしょうか?
−川名
社員が一つになったプロジェクト、だったかなと思っています。
代表である太郎さんの50歳という節目をひとりひとりが自分事化して、相手の期待値を超えるところを目指し、全員でコミュニケーションをとりながら取り組めたのはすごく良かったですし、それらはdofの仕事にも共通することだと思います。また、普段メンバーはそれぞれの案件に取り組んでいるので、「今のメンバーが初めて1つになって取り組んだプロジェクト」とも言えると思いますし、それを全力で頑張って実現できたのが本当に良かったです。
−内山田
一致団結したなかで、みんなの「得意」がうまくかみ合って発揮されて、その結果プロジェクトが実現したり、喜びの輪が広がっていったということが「dofらしく」とてもいい経験になりました。
−野中
私はいろんなことが進んでいく様子を見ていて、「dofのメンバーヤバいな」って心底思いました。映像も、いざ出来上がったらクオリティが高くて、撮影でドローンとか飛ばしているし(笑) 強烈な個性を持った人たちがたくさんいるチームだな、というのを再認識しました。
−柴山
そうですね、日々の案件に携わっているときとは違った、ひとりひとりの強みや魅力に気付かされたプロジェクトでもありました。
−高野
これを読んでくれている方がどう感じられるかというのはわかりませんが、こういうイベントごとをやりました、と言う話ではありつつも、そこにある「dofらしさ」というのが「ファミリーっぽさ」とはまた違うと思っていて。個々人のパフォーマンスで、それぞれが「いい意味で勝手にやったこと」がうまく融合していくのがdofなんじゃないかなと思います。わざわざ拾いに行かなければ映像なんて作らないで静かにしていることもできるけど、「せっかくなんだからやろうぜ」みたいな。そういう一人ずつの狂気みたいなものが集まって、結果的に良い形になったので、素晴らしいプロジェクトだったなと思います。
−工藤
向こう50年くらいはやりたくないですね(笑)
でも今回のプロジェクトについては、「どうせやるなら」という気持ちが共有されていたように思います。何をやるにしても、どのみち時間はかかる。どうせやるならショボいものじゃなくて、本気でやる。どうせやるなら、楽しんでやる。面白い方に持っていく。そういうところがdofっぽいなと思いました。
<齋藤太郎から一言>
自分自身の50回目の誕生日と、韓国への社員旅行がちょうどタイミング的に重なって。内心、なんかお祝いの会かなんかやってくれんのかなあ、と少し期待している自分がいたんです。会の当日にみんなでソウル近郊の山に登山に行ったんですが、登りながらみんながヒソヒソと内緒話していて、明らかに挙動不審で(笑)会場の場所もギリギリまで教えてくれなくて、こりゃなんかあるだろうなあ、と思って会場に行ったんですが。
気持ちの準備はできていたつもりだったんですが、完全に斜め上の展開にやられました。。。
だってアホすぎませんか?ほとんどの日本人が聞いたことも、ましてや当然行ったこともないようなアメリカの片田舎に屋外広告掲出してるんですよ?僕が生まれ育った街で撮影敢行して、産まれた病院から、そのあと住んだ家を3軒全部回って、通ってた学校まで撮りに行って、挙句の果てにドローンまで飛ばすし。映像を数回観るまでは現実だとは認識できなくて。なので、涙腺が崩壊するのも時間がかかりました(笑)
普通の会社でこんなことやったら下手すりゃクビになるかもなあ、というような展開でしたが(笑)、もううれしくてたまらなかったです。犬みたいに「うれしょん」(うれしくてオシッコ漏らすこと)しそうでした。(笑)こんなおバカでサイコーな仲間がいてくれてよかった、本当に幸せだなあ〜、って。大島さんと二人で20年近く前に立ち上げた会社に仲間が増えて、こういう狂ったことをして頂ける自分は、心底幸せ者だと思っています。そして、多くの方々から頂いたハピネスを、人生かけて周りの大切な人や、世の中に還元していかないとな、死ぬ気でハッピーを届けていかないとな、って心から思っています。
そして、工藤さんが「もう50年ぐらいはやりたくない」、と言ってましたが、10年後の還暦の時のことは今から期待しています(笑)
● 構成・文:宇佐見 彰太(dof)
<齋藤太郎から一言>
自分自身の50回目の誕生日と、韓国への社員旅行がちょうどタイミング的に重なって。内心、なんかお祝いの会かなんかやってくれんのかなあ、と少し期待している自分がいたんです。会の当日にみんなでソウル近郊の山に登山に行ったんですが、登りながらみんながヒソヒソと内緒話していて、明らかに挙動不審で(笑)会場の場所もギリギリまで教えてくれなくて、こりゃなんかあるだろうなあ、と思って会場に行ったんですが。
気持ちの準備はできていたつもりだったんですが、完全に斜め上の展開にやられました。。。
だってアホすぎませんか?ほとんどの日本人が聞いたことも、ましてや当然行ったこともないようなアメリカの片田舎に屋外広告掲出してるんですよ?僕が生まれ育った街で撮影敢行して、産まれた病院から、そのあと住んだ家を3軒全部回って、通ってた学校まで撮りに行って、挙句の果てにドローンまで飛ばすし。映像を数回観るまでは現実だとは認識できなくて。なので、涙腺が崩壊するのも時間がかかりました(笑)
普通の会社でこんなことやったら下手すりゃクビになるかもなあ、というような展開でしたが(笑)、もううれしくてたまらなかったです。犬みたいに「うれしょん」(うれしくてオシッコ漏らすこと)しそうでした。(笑)こんなおバカでサイコーな仲間がいてくれてよかった、本当に幸せだなあ〜、って。大島さんと二人で20年近く前に立ち上げた会社に仲間が増えて、こういう狂ったことをして頂ける自分は、心底幸せ者だと思っています。そして、多くの方々から頂いたハピネスを、人生かけて周りの大切な人や、世の中に還元していかないとな、死ぬ気でハッピーを届けていかないとな、って心から思っています。
そして、工藤さんが「もう50年ぐらいはやりたくない」、と言ってましたが、10年後の還暦の時のことは今から期待しています(笑)
● 構成・文:宇佐見 彰太(dof)
企業のブランドづくりへ。
“遺る”文化と価値をつくり続ける。
企業のブランドづくりへ。
“遺る”文化と価値をつくり続ける。
大学卒業後、ファーストキャリアは総合商社。その後、MBAを取得し、スタートアップの取締役CFOを務めたのち、dofに参画するという異色の経歴の持ち主。そんな宇佐見が前職で深いつな…
大学卒業後、ファーストキャリアは総合商社。その後、MBAを取得し、スタートアップの取締役CFOを務めたのち、dofに参画するという異色の経歴の持ち主。そんな宇佐見が前職で深いつな…
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角・トリスチームと語る、大島征夫。
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新たなマスメディアづくりへの挑戦。
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