Memorial dof talk Vol.2<後編>
弔辞を読んだ同志が語る、大島征夫。
Memorial dof talk Vol.2<後編>
弔辞を読んだ同志が語る、大島征夫。

7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の不世出のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくために。”Memorial dof talk”と題した本企画では、生前大島と親しかった方々から、印象に残るエピソードや、みなさんから見た「大島征夫」という人物像を伺っています。連載第二回にあたる今回は、大島の葬儀でも弔辞を読んで頂いた、先輩にあたる小田桐昭さんと、親友の橘益夫さん。
後編では、大島の知られざるプライベートのエピソードや亡き大島への思いを伺いました。
7月に亡くなったdof会長/クリエイティブ・ディレクターの大島征夫。そんな大島の不世出のキャラクターや考え方を少しでも世に遺していくために。”Memorial dof talk”と題した本企画では、生前大島と親しかった方々から、印象に残るエピソードや、みなさんから見た「大島征夫」という人物像を伺っています。連載第二回にあたる今回は、大島の葬儀でも弔辞を読んで頂いた、先輩にあたる小田桐昭さんと、親友の橘益夫さん。
後編では、大島の知られざるプライベートのエピソードや亡き大島への思いを伺いました。
電通時代の苦悩。
そして、dofでの第二の人生へ。
電通時代の苦悩。
そして、dofでの第二の人生へ。

ー お二人は公私共に大島さんと仲良くして頂いていたかと思います。プライベートでの大島さんについて印象に残っているエピソードはございますか?
ー小田桐さん
ともかく人懐っこくて、寂しがり屋でしたね。大島と二人で酒を飲んで、彼に「帰る」と言っても「帰らないで」と駄々をこねられたり、そんなことを思い出します。あんまり情けなさそうな顔をして言うものだから大島の家まで送って行って、そのまままた家で飲んだりね(笑)。
ー お二人は公私共に大島さんと仲良くして頂いていたかと思います。プライベートでの大島さんについて印象に残っているエピソードはございますか?
ー小田桐さん
ともかく人懐っこくて、寂しがり屋でしたね。大島と二人で酒を飲んで、彼に「帰る」と言っても「帰らないで」と駄々をこねられたり、そんなことを思い出します。あんまり情けなさそうな顔をして言うものだから大島の家まで送って行って、そのまままた家で飲んだりね(笑)。

ー齋藤
目に浮かびます(笑)。
ー小田桐さん 大島は、周りのクリエイティブの人と突っ込んで仲良くなるようなことはあんまりなかったように思います。電通社内に、当時は生え抜き意識が高い人もいたんです。多くが外から転職してきた人だったんで、生え抜きだどうだということにこだわっても仕方ないのにと思いますが。それで大島もマッキャンエリクソンから来たということもあって、もしかしたら疎外感を感じるということもあったのかもしれません。だから、常に構えて突っ張っているように周りからも見えた。
ー橘さん
大島はトヨタのプロジェクトでも、アートディレクターやコピーライターに外部の人を入れるということをトライしていて、もしかすると電通外部から来た人間だったからこそ、そういう外の血も入れて刺激を求めようと考えていたのかもしれないですね。
プライベートの付き合いでいうと、ぼくは大島夫妻と一緒に食事をすることもたくさんあったし、うちに夫妻で来てくれて、子どもとレーザーディスクで映画を観たりなんかして、子どもたちにも「大島のおじさん」「和子おばさん」って呼ばれて仲良くなったりね。子どもの20歳になった時もいっしょに食事会をしたり。上の娘の結婚式にも出てもらいました。家族ぐるみでお付き合いをさせていただきました。
ー齋藤
目に浮かびます(笑)。
ー小田桐さん 大島は、周りのクリエイティブの人と突っ込んで仲良くなるようなことはあんまりなかったように思います。電通社内に、当時は生え抜き意識が高い人もいたんです。多くが外から転職してきた人だったんで、生え抜きだどうだということにこだわっても仕方ないのにと思いますが。それで大島もマッキャンエリクソンから来たということもあって、もしかしたら疎外感を感じるということもあったのかもしれません。だから、常に構えて突っ張っているように周りからも見えた。
ー橘さん
大島はトヨタのプロジェクトでも、アートディレクターやコピーライターに外部の人を入れるということをトライしていて、もしかすると電通外部から来た人間だったからこそ、そういう外の血も入れて刺激を求めようと考えていたのかもしれないですね。
プライベートの付き合いでいうと、ぼくは大島夫妻と一緒に食事をすることもたくさんあったし、うちに夫妻で来てくれて、子どもとレーザーディスクで映画を観たりなんかして、子どもたちにも「大島のおじさん」「和子おばさん」って呼ばれて仲良くなったりね。子どもの20歳になった時もいっしょに食事会をしたり。上の娘の結婚式にも出てもらいました。家族ぐるみでお付き合いをさせていただきました。

ー齋藤
橘さんと大島さんは特別な関係でしたね。相思相愛関係といいますか。
ー そんな公私共に関係が深かった大島さんが電通を出てdofを創られると聞いた時、お二人はどのように感じられましたか?
ー小田桐さん
太郎さんのことは前から聞いていたので、それは面白いなと思いましたね。ただ大島が電通を出た後も、もう一度広告をやる気があるのかなというのは心配でした。もちろん大島がやれることは全部知っているし、営業局長をやってもおかしくないくらいビジネスのセンスもずば抜けていましたから、スキルという意味での心配ではありません。
何かを自分でやるっていうことは、ある種自分の思い通りにやりたいという欲望だと思うんです。そういうものがあの頃の大島には見えなかった。彼のことを「ギラギラしている」という人もいるけど、ぼくの目から見ると大島はあっさりしていたし、山っ気はなかった。だから一人で会社をやるというのは難しいと思っていたので、太郎さんが大島を拾ってくれてうれしいな、と思いました。あとは、よりどころができて酒を飲むところができてよかったなと(笑)。そういう意味でも太郎さんにはとても感謝しています。
ー齋藤
橘さんと大島さんは特別な関係でしたね。相思相愛関係といいますか。
ー そんな公私共に関係が深かった大島さんが電通を出てdofを創られると聞いた時、お二人はどのように感じられましたか?
ー小田桐さん
太郎さんのことは前から聞いていたので、それは面白いなと思いましたね。ただ大島が電通を出た後も、もう一度広告をやる気があるのかなというのは心配でした。もちろん大島がやれることは全部知っているし、営業局長をやってもおかしくないくらいビジネスのセンスもずば抜けていましたから、スキルという意味での心配ではありません。
何かを自分でやるっていうことは、ある種自分の思い通りにやりたいという欲望だと思うんです。そういうものがあの頃の大島には見えなかった。彼のことを「ギラギラしている」という人もいるけど、ぼくの目から見ると大島はあっさりしていたし、山っ気はなかった。だから一人で会社をやるというのは難しいと思っていたので、太郎さんが大島を拾ってくれてうれしいな、と思いました。あとは、よりどころができて酒を飲むところができてよかったなと(笑)。そういう意味でも太郎さんにはとても感謝しています。

ー齋藤
とんでもないです。
ー橘さん
ぼくは大島のやることは応援するということしか考えてなかったですね。ただ、太郎といっしょにやるということや、太郎が電通を辞めてdofを立ち上げるっていうことは驚いたな。驚きはしたけれど、小田桐さん同様に大島は一人でやっていくのはマインド的に難しいとぼくも思っていたから、太郎と一緒にやるというのは安心感がありました。
ー齋藤
こちらは内心不安しかありませんでした。(笑)
ー橘さん
応援したいという気持ちで、当時自分が担当していたトヨタさん肝煎りのプロジェクトである、レクサスの日本上陸は大島たちにやってもらおうということでdofに相談させてもらいましたね。
ー齋藤
その節はありがとうございました。
ー小田桐さん
ぼくは逆に大島がdofに対してどういう想いだったのかを知りたいな。
ー齋藤
うーん、どういう気持ちだったんですかね…。言い出しっぺはぼくで、定年を迎える大島さんに「一緒に会社をやりませんか」という話をしたんです。大島さんも面倒くさがりなところがあるので、会社を一人でつくるというのは面倒くさがってやらないだろうなと。当時、大島さんは電通からフロンテッジ(ソニーと電通の合資による広告会社)に出向して副社長をされていたんですが、その時の大島さんはクリエイティブ、マネジメント、経営と3つのお仕事をされていました。それで「マネジメントと経営はもうやりたくない」と。「クリエイティブの仕事だけできるならやってもいいよ」と仰るので、「分かりました。マネジメントと経営はボクがやります」と言って口説きました。
ただ、ひとつ問題があって、大島さんが奥さまの和子さんに「定年後は辞めてゆっくりすると言っちゃった」と。それについても大島さんには「ボクがなんとかします」とお伝えして、和子さんに会いにいきました。初対面だったんですが、「はじめまして、大島さんを5年貸してください」とお願いをして了解をいただき、dofがスタートしました。
ー齋藤
とんでもないです。
ー橘さん
ぼくは大島のやることは応援するということしか考えてなかったですね。ただ、太郎といっしょにやるということや、太郎が電通を辞めてdofを立ち上げるっていうことは驚いたな。驚きはしたけれど、小田桐さん同様に大島は一人でやっていくのはマインド的に難しいとぼくも思っていたから、太郎と一緒にやるというのは安心感がありました。
ー齋藤
こちらは内心不安しかありませんでした。(笑)
ー橘さん
応援したいという気持ちで、当時自分が担当していたトヨタさん肝煎りのプロジェクトである、レクサスの日本上陸は大島たちにやってもらおうということでdofに相談させてもらいましたね。
ー齋藤
その節はありがとうございました。
ー小田桐さん
ぼくは逆に大島がdofに対してどういう想いだったのかを知りたいな。
ー齋藤
うーん、どういう気持ちだったんですかね…。言い出しっぺはぼくで、定年を迎える大島さんに「一緒に会社をやりませんか」という話をしたんです。大島さんも面倒くさがりなところがあるので、会社を一人でつくるというのは面倒くさがってやらないだろうなと。当時、大島さんは電通からフロンテッジ(ソニーと電通の合資による広告会社)に出向して副社長をされていたんですが、その時の大島さんはクリエイティブ、マネジメント、経営と3つのお仕事をされていました。それで「マネジメントと経営はもうやりたくない」と。「クリエイティブの仕事だけできるならやってもいいよ」と仰るので、「分かりました。マネジメントと経営はボクがやります」と言って口説きました。
ただ、ひとつ問題があって、大島さんが奥さまの和子さんに「定年後は辞めてゆっくりすると言っちゃった」と。それについても大島さんには「ボクがなんとかします」とお伝えして、和子さんに会いにいきました。初対面だったんですが、「はじめまして、大島さんを5年貸してください」とお願いをして了解をいただき、dofがスタートしました。
とんでもないです。
ー橘さん
ぼくは大島のやることは応援するということしか考えてなかったですね。ただ、太郎といっしょにやるということや、太郎が電通を辞めてdofを立ち上げるっていうことは驚いたな。驚きはしたけれど、小田桐さん同様に大島は一人でやっていくのはマインド的に難しいとぼくも思っていたから、太郎と一緒にやるというのは安心感がありました。
ー齋藤
こちらは内心不安しかありませんでした。(笑)
ー橘さん
応援したいという気持ちで、当時自分が担当していたトヨタさん肝煎りのプロジェクトである、レクサスの日本上陸は大島たちにやってもらおうということでdofに相談させてもらいましたね。
ー齋藤
その節はありがとうございました。
ー小田桐さん
ぼくは逆に大島がdofに対してどういう想いだったのかを知りたいな。
ー齋藤
うーん、どういう気持ちだったんですかね…。言い出しっぺはぼくで、定年を迎える大島さんに「一緒に会社をやりませんか」という話をしたんです。大島さんも面倒くさがりなところがあるので、会社を一人でつくるというのは面倒くさがってやらないだろうなと。当時、大島さんは電通からフロンテッジ(ソニーと電通の合資による広告会社)に出向して副社長をされていたんですが、その時の大島さんはクリエイティブ、マネジメント、経営と3つのお仕事をされていました。それで「マネジメントと経営はもうやりたくない」と。「クリエイティブの仕事だけできるならやってもいいよ」と仰るので、「分かりました。マネジメントと経営はボクがやります」と言って口説きました。
ただ、ひとつ問題があって、大島さんが奥さまの和子さんに「定年後は辞めてゆっくりすると言っちゃった」と。それについても大島さんには「ボクがなんとかします」とお伝えして、和子さんに会いにいきました。初対面だったんですが、「はじめまして、大島さんを5年貸してください」とお願いをして了解をいただき、dofがスタートしました。

ー橘さん
和子さんとdofが立ち上がった頃にここでお話をして、dofのこれからに夢を抱いていたのを覚えていますよ。和子さんも大島や太郎のことを応援していたんだろうね。
ー齋藤
dofをはじめて3年経った時に和子さんが亡くなってしまい、とても悲しかったです。
ー小田桐さん
あの頃は大島も、この世の終わりみたいな顔でえらく落ち込んでいたね。dofがなかったら大変でしたよ。
ー齋藤
ただ面白かったのは、和子さんが亡くなるまでは、大島さん毎日会社に来られていたんです(笑)。週末も入れなくてもいい打ち合わせや編集の予定を入れたり。
それが和子さんがいなくなると家の居心地がよくなったのか、会社には時々しか来なくなった(笑)。
ー橘さん
和子さんとdofが立ち上がった頃にここでお話をして、dofのこれからに夢を抱いていたのを覚えていますよ。和子さんも大島や太郎のことを応援していたんだろうね。
ー齋藤
dofをはじめて3年経った時に和子さんが亡くなってしまい、とても悲しかったです。
ー小田桐さん
あの頃は大島も、この世の終わりみたいな顔でえらく落ち込んでいたね。dofがなかったら大変でしたよ。
ー齋藤
ただ面白かったのは、和子さんが亡くなるまでは、大島さん毎日会社に来られていたんです(笑)。週末も入れなくてもいい打ち合わせや編集の予定を入れたり。
それが和子さんがいなくなると家の居心地がよくなったのか、会社には時々しか来なくなった(笑)。

ー橘さん
それはずっと変わらなかったな(笑)。電通時代もそうだったもん。
ー齋藤
編集って夕方に入ることが多いと思うんですが、平日は夕方から飲みたいから予定を入れたがりませんでしたね。一方で土日はゴルフに行った後、必ず夕方に打ち合わせや編集の予定を入れて、そのあと飲みにいってましたね。
ー小田桐さん
恐妻家だったのかな?京都に一緒に行った時も必ずぼくのいる側で電話をしていましたしね(笑)。「いま小田桐さんと一緒なんだ」って急に電話を渡されたりしてね(笑)。
ー齋藤
恐妻家であり、愛妻家でしたね。
ー橘さん
和子さんのことを大島は大切に思っていましたよ。大島は豪放磊落に見えてすごく繊細でデリカシーのある男だったから、そういう性格が独特な奥さまとの関係にも影響していたのかもしれない。繊細な大島にしか感じとれないものが何かあったのかなと。ボクは大島には「お前バカだなぁ」っていつも笑いながら言われるんだけど、それは大島の目線から見ると「繊細なオレから見たらお前は鈍いなぁ」っていうのを指摘されていたんだと思います。けど、大島の「バカだなぁ」には愛情がこもっていた。「お前バカだけど好きだぞ」っていうようなね。
ー橘さん
それはずっと変わらなかったな(笑)。電通時代もそうだったもん。
ー齋藤
編集って夕方に入ることが多いと思うんですが、平日は夕方から飲みたいから予定を入れたがりませんでしたね。一方で土日はゴルフに行った後、必ず夕方に打ち合わせや編集の予定を入れて、そのあと飲みにいってましたね。
ー小田桐さん
恐妻家だったのかな?京都に一緒に行った時も必ずぼくのいる側で電話をしていましたしね(笑)。「いま小田桐さんと一緒なんだ」って急に電話を渡されたりしてね(笑)。
ー齋藤
恐妻家であり、愛妻家でしたね。
ー橘さん
和子さんのことを大島は大切に思っていましたよ。大島は豪放磊落に見えてすごく繊細でデリカシーのある男だったから、そういう性格が独特な奥さまとの関係にも影響していたのかもしれない。繊細な大島にしか感じとれないものが何かあったのかなと。ボクは大島には「お前バカだなぁ」っていつも笑いながら言われるんだけど、それは大島の目線から見ると「繊細なオレから見たらお前は鈍いなぁ」っていうのを指摘されていたんだと思います。けど、大島の「バカだなぁ」には愛情がこもっていた。「お前バカだけど好きだぞ」っていうようなね。
大島征夫が迎えた、最高の最期。
大島征夫が迎えた、最高の最期。

▲ 大島が亡くなる1週間前に、大島宅に橘さんご夫妻、大島、齋藤が集まった時の写真
▲ 大島が亡くなる1週間前に、大島宅に橘さんご夫妻、大島、齋藤が集まった時の写真
ー お二人が大島さんと最後に会われたのはいつだったのでしょうか?
ー齋藤
大島さんが亡くなる1週間前も大島さんと大島さんのご自宅で飲みましたね。大島さん、橘さん、橘さんの奥さま、ボクの4人で。
ー お二人が大島さんと最後に会われたのはいつだったのでしょうか?
ー齋藤
大島さんが亡くなる1週間前も大島さんと大島さんのご自宅で飲みましたね。大島さん、橘さん、橘さんの奥さま、ボクの4人で。

ー橘さん
そうだったね。大島は太郎に対しては弟や息子に語りかけるように話していたね。ぼくがやっているビジネスのことも気にかけてくれていた。
ー小田桐さん
ぼくが最後に大島と話したのは電話でした。亡くなる2日前くらいかな。「もう時間がないんです」と言われて、ビックリしました。電話で話す前に色んな方から大島は元気になったと聞いていたから、最初は冗談じゃないかと思ったんです。そんな話、冗談で言うわけがないんだけど。それで「時間がない。会いたい」という風に言うので会う約束をしていたんです。本当なら7月8日、大島が亡くなった翌日に会う予定でした。急いで行けばよかったという気持ちと、一方で最後に電話でも話せてよかったという気持ちの両方があります。ただ亡くなる直前まで仕事をしていたと聞いたので、よかったなと。そんな死に方は羨ましいなという風にも思いますね。
ー 小田桐さん、橘さんのお二人には大島さんの葬儀で弔辞も読んでいただきました。お二人にはどのように弔辞をお願いされたのでしょうか?
ー齋藤
葬儀委員長として、大島さんと特に近しかったお二人に、お通夜のタイミングでお願いをしました。快く受けてくださり、本当にありがとうございました。
ー小田桐さん
お別れが言えてよかったですよ。
ー橘さん
そうだったね。大島は太郎に対しては弟や息子に語りかけるように話していたね。ぼくがやっているビジネスのことも気にかけてくれていた。
ー小田桐さん
ぼくが最後に大島と話したのは電話でした。亡くなる2日前くらいかな。「もう時間がないんです」と言われて、ビックリしました。電話で話す前に色んな方から大島は元気になったと聞いていたから、最初は冗談じゃないかと思ったんです。そんな話、冗談で言うわけがないんだけど。それで「時間がない。会いたい」という風に言うので会う約束をしていたんです。本当なら7月8日、大島が亡くなった翌日に会う予定でした。急いで行けばよかったという気持ちと、一方で最後に電話でも話せてよかったという気持ちの両方があります。ただ亡くなる直前まで仕事をしていたと聞いたので、よかったなと。そんな死に方は羨ましいなという風にも思いますね。
ー 小田桐さん、橘さんのお二人には大島さんの葬儀で弔辞も読んでいただきました。お二人にはどのように弔辞をお願いされたのでしょうか?
ー齋藤
葬儀委員長として、大島さんと特に近しかったお二人に、お通夜のタイミングでお願いをしました。快く受けてくださり、本当にありがとうございました。
ー小田桐さん
お別れが言えてよかったですよ。

ー橘さん
大島の前でぼくが文章を書いて見せるなんてきっと大島も望まないし、他にコピーライターの方もたくさんいたから、弔辞は別の人が読むんだろうなと思っていました。ただ、太郎に頼まれた時、「大島の前で文章を読むなんて一生に一度しかないな」と思って受けることにしたんです。「これ、大島どう思うかな?」なんて想像しながら書きました。あっちに行ったら大島に感想を聞けると思うんだけど、またあいつに「お前バカだなぁ」っていつもの調子で言われるのを楽しみにしています。
ー齋藤
お二人の弔辞には本当に感動しました。自分は素晴らしい環境で仕事ができているんだなと思いました。こんなに素晴らしい言葉を最後にプレゼントできるなんて、なんて豊かな場所にいるんだろう、なんてカッコいい先輩に囲まれているんだろうと。あのままdofを立ち上げず、電通で仕事をしていたら、お二人とお近づきになったり、弔辞をお願いさせて頂くということもなかったはずです。大島さんの葬儀には本当に大勢の方々にお越し頂きましたが、ありがたいことに殆どの方々と私もお付き合いをさせて頂いています。このようなご縁を頂けているのも、大島さんのおかげだなと本当に感謝しています。
ー もしいま大島さんになにか伝えられるとしたら、どんなことを伝えたいですか?
ー小田桐さん
弔辞にも書いたんですが、大島の後半の人生はdofでの人生だと思います。本当にいい人生だったと思います。電通の時代からフロンテッジにいた時まで、大島はそれほど心地よさそうには見えなかった。だから彼の後半の人生を心配していたんです。すごく寂しい人生になったら、可哀そうだなと。
でも、dofに来て大島はようやくはじめて裸になれた。後半の人生の方が、子供っぽくなって、虚勢を張って構えることもなくなって、そんな大島の姿がすごく人を惹きつけた。そんなことを、葬儀に来ているたくさんの人を見て感じました。こんなに後半がいい人生になるなんて。帳尻を合わせてくるなんて。すごく良かったね、と伝えたいです。そして、太郎さんやdofのみなさんにはお礼しかないです。
ー橘さん
大島の前でぼくが文章を書いて見せるなんてきっと大島も望まないし、他にコピーライターの方もたくさんいたから、弔辞は別の人が読むんだろうなと思っていました。ただ、太郎に頼まれた時、「大島の前で文章を読むなんて一生に一度しかないな」と思って受けることにしたんです。「これ、大島どう思うかな?」なんて想像しながら書きました。あっちに行ったら大島に感想を聞けると思うんだけど、またあいつに「お前バカだなぁ」っていつもの調子で言われるのを楽しみにしています。
ー齋藤
お二人の弔辞には本当に感動しました。自分は素晴らしい環境で仕事ができているんだなと思いました。こんなに素晴らしい言葉を最後にプレゼントできるなんて、なんて豊かな場所にいるんだろう、なんてカッコいい先輩に囲まれているんだろうと。あのままdofを立ち上げず、電通で仕事をしていたら、お二人とお近づきになったり、弔辞をお願いさせて頂くということもなかったはずです。大島さんの葬儀には本当に大勢の方々にお越し頂きましたが、ありがたいことに殆どの方々と私もお付き合いをさせて頂いています。このようなご縁を頂けているのも、大島さんのおかげだなと本当に感謝しています。
ー もしいま大島さんになにか伝えられるとしたら、どんなことを伝えたいですか?
ー小田桐さん
弔辞にも書いたんですが、大島の後半の人生はdofでの人生だと思います。本当にいい人生だったと思います。電通の時代からフロンテッジにいた時まで、大島はそれほど心地よさそうには見えなかった。だから彼の後半の人生を心配していたんです。すごく寂しい人生になったら、可哀そうだなと。
でも、dofに来て大島はようやくはじめて裸になれた。後半の人生の方が、子供っぽくなって、虚勢を張って構えることもなくなって、そんな大島の姿がすごく人を惹きつけた。そんなことを、葬儀に来ているたくさんの人を見て感じました。こんなに後半がいい人生になるなんて。帳尻を合わせてくるなんて。すごく良かったね、と伝えたいです。そして、太郎さんやdofのみなさんにはお礼しかないです。

ー齋藤
大島さんの人を惹きつける力、「ほっとけない力」は半端じゃないですからね。
ー小田桐さん
そうそう、ほっとけないんだよね。なんの損得もないのに、葬儀であんなにたくさんの人が「大島のために」って動いてくれるのもすごいなと思いましたよ。
ー齋藤
小田桐さんはいつも真っ先に大島さんに巻き込まれていましたね。「いまから空いてます!?ごはん行きません!?」なんて言われて。
ー小田桐さん
人の都合なんて関係ないんだから(笑)。うまいんだよね、ほっとけなさが。
ー橘さん
ただ、そういうことをやるタイミングはすごく考えていた。気遣いの気持ちがあるから、大島の周りには人が集まってくるんだろうなと思いますね。
ー齋藤
そうですね、気遣いの人でもありました。
ー 橘さんは大島さんになにか伝えたいことはありますか?
ー橘さん
本当に、物語のように見事な最期だったと思います。5月にdofが20年目を迎えて、和子さんの十七回忌を済ませて、きちんとやるべきことをやり、ちゃんとみんなにお別れを伝えて、最後の最後まで仕事をやり、七月七日の七夕に旅立つ。こんなことふつうはできないですよ。本当に羨ましいくらいにあっぱれな最期だったと、大島にはそう伝えたいですね。加えて、巨人が6年振りにセ・リーグで優勝しましたから(※大島は熱狂的な巨人ファン)。
ー齋藤
大島さんの人を惹きつける力、「ほっとけない力」は半端じゃないですからね。
ー小田桐さん
そうそう、ほっとけないんだよね。なんの損得もないのに、葬儀であんなにたくさんの人が「大島のために」って動いてくれるのもすごいなと思いましたよ。
ー齋藤
小田桐さんはいつも真っ先に大島さんに巻き込まれていましたね。「いまから空いてます!?ごはん行きません!?」なんて言われて。
ー小田桐さん
人の都合なんて関係ないんだから(笑)。うまいんだよね、ほっとけなさが。
ー橘さん
ただ、そういうことをやるタイミングはすごく考えていた。気遣いの気持ちがあるから、大島の周りには人が集まってくるんだろうなと思いますね。
ー齋藤
そうですね、気遣いの人でもありました。
ー 橘さんは大島さんになにか伝えたいことはありますか?
ー橘さん
本当に、物語のように見事な最期だったと思います。5月にdofが20年目を迎えて、和子さんの十七回忌を済ませて、きちんとやるべきことをやり、ちゃんとみんなにお別れを伝えて、最後の最後まで仕事をやり、七月七日の七夕に旅立つ。こんなことふつうはできないですよ。本当に羨ましいくらいにあっぱれな最期だったと、大島にはそう伝えたいですね。加えて、巨人が6年振りにセ・リーグで優勝しましたから(※大島は熱狂的な巨人ファン)。
橘さんが書かれた弔辞原文(一部抜粋)
ー齋藤
見事なオチがつきましたよね。ジャイアンツの優勝は、大島さんも向こうでウイスキー片手に祝杯をあげていると思います。
本日は長時間のインタビュー、ありがとうございました。
“Memorial dof talk”第二弾はいかがでしたか?次回は大島とゆかりのある“コピーライターの神様”に大島との知られざるお話を伺います。どふぞお楽しみに!
ー齋藤
見事なオチがつきましたよね。ジャイアンツの優勝は、大島さんも向こうでウイスキー片手に祝杯をあげていると思います。
本日は長時間のインタビュー、ありがとうございました。
“Memorial dof talk”第二弾はいかがでしたか?次回は大島とゆかりのある“コピーライターの神様”に大島との知られざるお話を伺います。どふぞお楽しみに!

一度限りの上場広告に
どう熱量を込めるか?
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“遺る”文化と価値をつくり続ける。
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